ウィルスと進化

とりあえず、私達人間も真核生物です。はぃ。まーウイルス感染した猿が突然二足歩行した事例も最近ありましたし。真核生物原核生物の明らかな差は、遺伝子を保護する「核」の有無であり、これは種の保存の体現と言う事ですね。真核生物が種の保存をするものと体現するなら、原核生物は種の拡散をするものと体現できます。で、生物進化を考える際、真核生物が単体で突然変異による進化を起こすとは少々考えづらいと思うんですね。生物が集団を持たず単体だけで進化するとなると、基本的に種の保存には無理が生じて来る事は、近親配合による種の保存の弱体化を導いてしまう事で察せられると思います。ですから単体ではなく、ある程度の同現象を同時期に引き起こした同状態の固体数が揃わなければ次世代への進化には無理が掛かってしまいます。「突然変異」とは「突然」であり「複数の偶然」を起こす確率が低すぎます。つまり「突然変異」を成功させる為には「現象規模」の外部要因が必要と言う事になります。この仮定で考えるなら「突然変異」による進化は、有る程度の個体数が必要と言う事になり、その個体数を篩いに掛けるのがウイルスと言う原核生物による集団感染ではないのかな、とは思います。

ある程度の個体数…例えば現在人類は60億程度いるわけですが、60億人全員が同じ感染症を同時期に引き起こす事例は今の所無いですね。環境等の面から感染されるウイルスは地域によってマチマチなワケです。ただ、人間は地球上のあらゆる所への行き来が可能だから、なんとなくウイルス感染地域がゴチャゴチャになってしまってますけどね。ウイルス感染って、発生は基本的に一ヶ所か同地域から発生している事を考察すれば、他地域との往来さえ無ければ感染は限定された地域になりやすく、その上 科学的抑制さえ無ければ感染した後の個体数を維持できる程度に感染していると思います。えぇ、ウイルスと言うのは単に生物を致死させる為のモノとは限らないと思います。保存されている真核生物の遺伝子に相性良く入り込み、その遺伝子に一部付与したり腐敗させたりする事で、その時点では表に現れなくとも同時期に感染して生き残った連中同士で世代を追うごとに本来の当事生物とのズレが生じて来るんだと思います。要は、その入り込んだ際に元の遺伝子が拒絶するかどーかが進化する分かれ目になっているのではないんですかね。

アフリカではエボラ出欠熱と言う超感染病が蔓延し、大勢のアフリカの人達が亡くなっていますが、エボラ熱に感染したにも関わらず、平気だったアフリカの人達も少数いたらしく、その人達の血液を調べ上げ血清を作っているとも聞きました。つまり、超感染病であるエボラでさえ耐え得る人類の遺伝子は存在し、仮に血清を作る等と言う科学的抑制をせずそのまま感染が拡大していれば、この人達がある一定数に達した場合、原型の種族が感染死している要因等も相まって、闘争など起こさずに、次の進化世代の生物となりうる存在となる…単純に言えば そんな感じぢゃないのかなーと思います。現在の人類も恐らくウイルス感染の結果生じた生物の一種であり…現在でも身の回りに散在するが、そのウイルスに耐え切った…もしかしたら現在共存しているウイルスのおかげで、人間と言う一種の生物が生き永らえているんだと思います。

「進化」と言う言葉にあまり悪いイメージって無いもんです。だからと言って、ウイルス感染した方々を助けないと言う偏屈な議論は成り立たず、そもそも進化とは多くの生物の犠牲により成り立っている非情な生物の仕組みであると取った方がイイと思います。「種の進化」は「種の保存」の効率化でありつつ、「種の保存」の破壊が「種の進化」と言う相反するものでありつつと言う微妙なバランスです。言い換えれば、進化とは真核と原核とのバランスを崩す事であり、真核とは あくまで種の保存を大切にする証です。真核である私達は「種の保存」…すなわち、お互いを維持する、助け合う心を大切にすべき遺伝子を持つ生物である言う事を忘れてはイケないと思います。

解読不能の書 ヴォイニッチ手稿はデタラメか (2)

デタラメちぅより、ただのオーパーツ…と取る方が正解でしょうね。言語には様々ある訳ワケですが、大体共通している事は、聴覚で理解する単語・視覚を表現する文型な訳です。例外も有りますが、基礎となる単語自体は音を利用しており、その音を分解しても意味が無い場合が多いですよね。聴覚での単語形成…コレはヒトがヒトとなる以前からの習慣であり、生きていく方法であり…として発達したはずです。その後、ヒトとしての進化が進み、視覚で捉えた詳細を表現する為に単なる音では足りなくなり、規則性に則った上で その単語を組み合わせ文型を築き上げる。今度は逆に文型の音を分解・解析する事によって 意味が ある訳ですよね。それを両方視覚で捉える様にしたものが、活字と言うモノです。ですからソレに慣れてしまい、どーにも言語を全て視覚として捉えようとし、「暗号の解読」となって、ワケが分からなくなり「デタラメではないのか?」っつー事になってしまうんですね。

コレが作られたと近い時期に『ピリ・レイスの地図』も作られてます。まだ地図の知識も乏しい時代に、大西洋と 氷の無い南極大陸を正確に描いた地図--さらに正距方位図法のごとく、地図の中央部が浮き上がり--まるで人工衛星クラスの超高空から見て書いたのか?と思う程に作られた地図。コレは15世紀頃、紀元前に作られたらしい地図を、模写したモノだそーです。明らかにオーパーツですね。この地図から分かる通り、多分、紀元前に作られた時も模写だと思います。氷河期が立て続けに起きている現在の地質時代:第四紀…南極大陸に氷が存在しない時代は有りえません。描かれてる南極大陸の一部が、氷の除かれた状態であったとすれば、それはプレートテクトニクスにより、南極大陸が現在地に無かった場合にのみ 見る事が可能な話です。つまり最低数万年前の地図と言う事になってしまいますね。

話が多少それましたが、この「ヴォイニッチ手稿」も同等の代物ではないか?っつー想像です。現代知られている最古の言語はサンスクリット語か、ヘブライ語辺りではないかと言われています。ですが たとえ最古でもイイ所、4・5千年前のモノだと思います。ではそれ以前に、文型たる言語は存在しなかったのか?って考えると、そーは思えませんよね。突然、サンスクリットやヘブライ語が出来た訳では無いと思います。多分それ以前に、まだ文型の不確定な単語から文型へ移行する長い年月が必要だったと思います。そして登場したヘブライ語等により、不確定・不規則の多分に残る他言語が淘汰されていった。現代科学で 解読出来る様になっている言語は、その不確定さが少ない完成された言語なんだと思います。コレが本当に作られたのは、この辺の時期なのではないか?そー思います。もしくは全く違う文型の形態…例えば、文型自体が単語同様に音である可能性とか…「タツノオトシゴ」なんてどーです?「ノ」が途中入るもんですから、なんとなく文章の様な気がしますが、コレは確実に単語ですよね。アルファベットを使ったローマ字読みの文章は、日本人は理解可能だけど、英語が公用語である連中にはチンプンカンプンですよね。ナンか そんな感じ(…どんな感じ!?)結局の所、私に そんな事は分かる訳が ありませんよ。でも なんとなく、そんな感じ。

暗号解読では、きっと分からない。でもあの「ピリ・レイスの地図」が人工衛星から撮った地球の画像でヒントを得た様に、この手稿も 思いがけない所で解読の糸口が掴めるかもしれない。解読できた時に初めて「デタラメどころか、これは大発見だ!国家機密並だ!」みたいな、内容かも知れませんね。そんな気持ちでオーパーツに興味を持つと楽しいモノです。

世界に残る古代核戦争の痕跡 - 人類はかつて滅びたか
突然ですが私は、ノストラダムスって信じてますよ。って言うか、予言者としての彼では無くて、過去視をしていた彼。彼の書いた「諸世紀」と言う本は、頭に浮かんだ光景を暗号化して4行詩や7行詩にしたものだそうです。コレが、彼の未来予言だと一時期大騒ぎになりましたよね。詳しくは知りませんが、彼は本当に「未来を予言する」なんて、自分の口で言ったんだろうか?って、疑問なんです。同時期の事を色々言い当てたそうですが、あの「1999年7の月」の詩は 成就しなかった。未来を見たはず…しかも数字を確実に指定した上で…ハズれた…どうにも消化不良なんです。思うに、あの人は未来では無く、過去を見たんじゃないのかな?って思ってます。

過去視…レトロコグニションと言いますが、予言と似てて、理屈の付けづらい非常にオカルト的な話です。ただ、予言者や占い師の場合、インチキ沙汰が絶えないし、話題になっても10年続く人はいませんが、このレトロコグニションに関しては実在例が世界各地で、結構 有るんですね。何らかの拍子で、死んでしまっていた人の記憶が、全然関係の無い子供の記憶として残っていたり、初めて来た場所の隅々の状況まで言い当てる事が出来る子供がいたり…子供が多いんですけどね。ノストラダムスの場合は、大勢の人間の記憶が入った…それもそんな最近死んだ人とかの記憶では無くて、1万年前・2万年前…気の遠くなるような過去の人達の記憶が入ってしまった超弩級のレトロコグニションなんじゃないかなーと思っています。

歴史って、何千年続いた どんなに長い歴史でも、後世に伝える手段が50年・2世代分無ければ、確実に縁の切れた2つめの歴史となる。って話を聞いた記憶があります。確かにそうで、文献や遺物の発見さえ無ければ、以前の歴史は ほとんど無かった事になりますもんね。痕跡が有っても認めない歴史学者も多いですしね。では、仮に前の文明が有ったとして、現在と同規模の核保有状態だったとして、核戦争が起きていたとしたら…何十億人も死んで、核の冬が来て、幾人かの人間がシェルターに残ってても、放射能が沈静化するまで地上に出る事は出来ない。食料が尽きて、餓死者が出て、死体から疫病が蔓延する。文明社会で残る人間は皆無でしょうね。仮に生き残るとすれば、核爆発の影響圏外どころか、文明社会には全く相手にされない・全く縁の無い、その上で たまたま風や海流のおかげで放射能の影響が少なくて…そもそも核戦争が起きていた事など、ほとんど知らない人達の一部のみが生き残って、次の文明を切り開いて行くんだろーなーと思います。こーなると二世代分も必要無いですね。10年も有れば、以前の歴史は全くの皆無となるはずです。

コレ、実は信じてます。今の文明以前に何十回と文明の構築が有り、その悉くが絶滅し、今の文明が成り立ってるんだと。こちらに挙げられている場所以外でも、インドのデカン高原、カナダ北部、オーストラリア中部…等々の各地から、自然界では ありえない放射能残留が検出されている事が証明の一つだと思います。インドの「ラーマヤーナ」、「旧約聖書」、密教「月蔵経」…他にも数々の物語とされている古典の中や、神話の中には当時から考えれば意味不明な言葉や情景が克明に書かれてます。「これは空想だ。作り話だ。」と、頭のガチガチな歴史学者は言いますが、果たして作り話でココまで作れるのか?と考えると甚だ疑問なんです。

例えばの話、自分達の文明の100年後を想像してみてください。確かに、現代社会とは違う未来都市の絵が描かれると思いますけど…その想像は、本当に自分の完全な想像ですか?多分、今までに見た 何かしらの影響が有って構築されてるはずです。当然ながら100年後の未来は、想像とは確実に違うものとなってると思います。それは結局、これから100年間の間に得られる新しい知識が、全く加味されていない状態だから。それがあれば、以前の想像より数段似通った絵が出来るはずです。つまりソレを省かれた状態の場合、人間の想像力と言うのは、今までで何かしらのキッカケで得た知識・記憶を組み合わせて作られるもの。それ以上は、基本的に出来ないはずなんです。その上で、この古典が作られた状況を鑑みますと、核に対する知識などまるで無い状態。この状況で鮮明にも近い核爆発への酷似記述は全くもって不可能な話です。

別の切り口もあります。史実の話を、空想の模擬に立てたと言う事。例えば、あの「ヤマタノオロチ退治」。アレは鳥取県:斐伊川の治水工事が大もとではないのか?と言う話。元々この斐伊川は「あばれ川」で、雨が降る度に下流のデルタ地域に洪水を引き起こしていた川。この川を治水しようと思いましたが、現代の様に地図が無い。よって、見晴らしの良い丘から眺めて対策を練る事になりますよね。現代でさえ土木工事には実検分は必要ですもんね。その丘から見た様子、あばれた時の様子。これを踏まえて河川の支流を「大蛇」、工事途中に作る水貯め(ダム)が、あの「酒樽」、上流は支流が繋がってるから、それに上流部の山の膨らみも重なってる事でしょう…大蛇の胴体は、大きく1つ。これでヤマタノオロチの出来上がりですね。そして退治した後に、尾から出来た「草薙の剣」…この川の上流部は鉄の産地。まぁ、この程度の一致で十分でしょ?八又の大蛇と言う想像は記憶では作れませんが、川の様子を見て、1つの上流から分かれた8つの支流と置き換えた…コレは出来ますよね。擬似ですから。

ただ、どちらを取っても空想ならば、何らかの経験に基づかなければ出来ない訳です。古典の描写を考えても、この場合の古代核戦争への話の進め方は、決して有りえない飛躍とは言い切れないモノとなるはずです。

歴史は繰り返す…これが予言者と思われてしまうことになったノストラダムスの悲劇なんじゃないのかなって思います。多分、ノストラダムスの頭に浮かんだ「過去の記憶」は、現文明に非常に酷似した旧文明の一つ の人達の記憶が入っていたんじゃないのかな?って思うんです。その旧文明にも当然、数字や時間の概念は有ったと思います。手法は違うでしょうけどね。ただ、何らかのビジョンが1999と7と言う数字を連想させ、それに付随して来た非常に危険な何らかのモノのビジョンが頭に浮かんだ。予言と思いこんでいたかも知れない当の本人も、これから起こると思った世界に危険を知らせたかった。それを今の人類は西暦と思い、1999年の滅亡を予感して大騒ぎしましたが、西暦って所詮はキリスト云々の話ですからね。多分、その旧文明の1999と7の数字が破滅の何らかに関係したモノだったんじゃないのかな…と思ってます。

…こんな解釈は、どんなもんでしょうね?まぁ、今の文明に劣らないような凄い旧文明が栄えていた…こんなミステリアスな話も、たまにはイイもんですよね。

アインシュタインはやはり正しかった?
これは、ちょっと難しい?アインシュタインが言ってた相対性理論。これは、エーテルの存在を無視した物理理論と言ってしまうのが分かりやすいんです。エーテルとは、モノとモノの隙間の何も無い所に有る何かの物質。つまり真空などは無くて、真空と言われてる部分には必ずエーテルが有る。モノの動きを説明するに、このエーテルを基準に置いたのが、それまでの物理法則。それを取っ払って考えたのがアインシュタインの相対性理論の原型。…と考えてください。つまり、エネルギーが何も無いモノ「真空」は存在すると言う事ですね。まぁでも、エーテルを光とエネルギーに置き換えた話ですから、専攻の科学者でも無ければ有無のどちらで考えても大して差はないと思いますよ。ゼロ及びマイナスが存在するか否かの違いです。そもそも普通は、必要の無い話だって…ねぇ (o_ _)ノ彡☆ばんばん

さておき…宇宙の話に戻しますが、宇宙はビックバンより膨張し続けている。と言うのが現在の定則です。定則ですが、何故膨張し続けることができるんでしょうか?まずは、地球を例に取ってみます。どんな物にも他者を引っ張る力が存在します。引力と言いますが、地球にも当然あって、地球の内部では地表及びそれに付随する空間(大気とか月とか人工衛星とか隕石とか)を、地中深く引きずり込んでやれ状態なわけです。でも誕生してから40億年以上、地表が引っ張り込まれて地球が小さくなったと言う話は聞いたことありませんよね。何故小さくならないか。これは、地球の引力と同等に地球の自転による遠心力が作用しているからですね。引力と遠心力。2つの力によって出来る微妙なバランス…これを重力と言います。この重力と言う微妙なバランスがあるから、人間だって土に押し込められる事無く、空中に放り出される事無く立っていられるわけです。逆にバランスを崩し、遠心力が大きくなれば、人や物が宙に浮いてしまうどころか、地球から吐き出されてしまうし、地球自身も膨張します。引力が大きくなれば人は立っているどころか、土に押し付けられ圧迫死し、地球自身も収縮します。

次に…窓の空気を入れ替えようとすると、部屋の暖かい空気は外に逃げます。これはエネルギーを取り込んで、外と中とのエネルギー差を一様化しようとする力が作用してるんですね。差が大きいと、風が吹いたり…それこそ、悪天候や台風とかで風が吹く原因も、高気圧から低気圧にエネルギーを運び一様化しようとする為に起きるんです。これを宇宙に当てはめてみると、宇宙の外側はエネルギーが全く無いと考えられています。だから宇宙の外側の空間は宇宙のエネルギーを取り込もうとする。ですが宇宙自体はそれを拒絶しようとします。水と油の関係と言った方が良いかと思います。宇宙は膨大なエネルギーの為、宇宙の外側の取り込みが激しくなり、結果 宇宙は広がるしか無いんですね。ですが膨張しすぎた結果、宇宙のエネルギー自体に明らかな穴:「真空」が存在する様になります。今度、宇宙は内側の真空にも引っ張られる状態になる。多少の穴であれば、逆に星間物質(星とか…)の引力との相互作用でバランスは取れますが、それもままならなくなってくる。あるピークを超えると、本来宇宙膨張を阻む「真空」の存在を打ち消してきた星間物質も、宇宙に牙を向けるようになる。そーなると、今度は宇宙の収縮が始まります…が、収縮が始まらない…膨張を続けている。収縮するだけの真空が有るのに何故、膨張を続けるか…これは、アインシュタインの言った「真空」の存在を否定する事になります。

で、アインシュタインの仮説:暗黒エネルギー「宇宙項の存在」が登場します。負のエネルギーを絶対値に置き換える何かのモノ…と言った方が良いのかも知れません。引力・遠心力の反対の力…言うなれば「反重力」、エネルギーの一様化を避けようと反発する力…「反物質」。これを総称した「宇宙項」。この存在を考察する他に、エーテル無しの宇宙膨張と相対性理論は成り立たなくなるわけです。周囲に宇宙項が存在する星は、周囲から押しつぶされる。放射された物質を取り込もうとせず、自ら膨張を続けようとする力が周辺空間に働く。これが未だに宇宙の膨張を助長していると言う発想ですね。どっか、別の学者さんがブラックホールの反対「ホワイトホール」と言う仮説を打ち立てましたが、この「宇宙項」は、それ自体にエネルギーを持たない「ホワイトホール」と考えるのが分かりやすいと思います。この「宇宙項」の存在を確認する為には、膨大なエネルギーの流れを逐次見て行く以外に方法は有りません。「宇宙項」自体にエネルギーが無いので、見えて発見する事なんて当然出来ませんからね。超新星の様に遥か遠くでも明るくエネルギー放出の多い星は、観測しやすい。これからの観測で、アインシュタインの想いに、少しでも近づけば良いですね。

生き物の形はどのように決まったのか

進化とは、遺伝と淘汰の相乗効果。環境に合わせて進化するのでは無く、種の些細な変異の繰り返しにより派生分派し、異なった表現型に発展し、外部環境によって不適応な表現型が淘汰される。難しい話をしましたが、要はキリンの話が そーですよね。元々キリンの首の長さは一定していたわけではなく、高い木の葉を食べられるキリンだけが残された。元来 キリンが生息していた地域は、たまたま栄養価の高い植物に背の高い木が多かった。だから首の短いキリンは滅亡するしかなかった。草食動物が生まれてすぐに立とうとする能力も同じ事。体液の混じった赤ちゃん動物の臭いは、肉食動物にとって格好の餌食。種の保存がままならないから、絶滅するしか無い。環境に応じて進化すると言う、ダーウィンの進化論とは逆の発想ですが、現在の進化論はコッチ寄りのはずです。

では、よく話される事…人間は進化すると、どーなるか。当たり前ですが、コレは やっぱり分からないと言うのが結論。未来のどのような環境が、人間の淘汰を導くのか分かりませんからね。異常な話ですが、生殖行為により感染しやすいAIDSがヒトゲノムの進化形態…AIDS感染に共生、もしくは耐性を持つ人間が、次の時代の人間…なぁんて、極論もあるくらいです。

人間は これから どうなっていくのか、どう進化して行くのか…楽しみな反面、寂しい気もします。周囲の女性を見て、綺麗だなぁーって思う 今の人間の形が、やっぱり一番イイんじゃないのかなぁーなぁんて…男ですから ;

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