教え上手・教えられ上手。人間同士のコミュニケーションで、非常に高いテクニックを要する事の一つに上げられると思います。「教え上手」と言う言葉は耳にすることが有りますが、「教えられ上手」と言うのはあまり聞きませんね。というか、最近になって聞く様になってきたかも知れません。 日本には「年季」と言う言葉が有ります。経験に支えられた絶対性…「年季の有る者」が、教える側に回る理由とする 教える側の絶対権力ですね。「年功序列」と言う資本主義社会に有りながらの矛盾を生み出してる元凶ですが、それは今回の話に関係無いので さておき…物事の進化が緩やかな時代には、この年季による経験に支えられた側の人間が圧倒的に優位なワケです。上司部下や先輩後輩の関係は まさしくそれで、上司に言われた事は絶対だと信じ切っている為、教えられた事に対し忠実に従う。経験に裏づけされた物事ですから、教えられた事をしてスムーズにコトが運べば「さすがは上司!」となり、何かのはずみで失敗してしまえば「しょーもない部下」と言う始末。ついでに 後者の様な失敗沙汰は統計的にも少ないはずです。ですから教えた側の責任は、ほとんど回避されてしまいます。つまり、これまでは教え方に上手下手が全く必要の無かった訳です。 ですが、急激に物事が進化を起こすと、こーも楽には行かなくなります。経験によって教えた事の大半が、物事成り行きに関し、安全性を死守出来なくなる。そーなってくると今度は「教えた側の教え下手」と言う経験云々の問題とは別の、テクニックの未熟さが目立つ様になって来ます。経験による裏づけが出来ない以上、何を教えたらイイのかも分からなくなる。その上「本来教える側」の立場の人間が「教えられる側」の立場になったり、それが混同したり…かなり面倒な状態になります。ここで必要となってくるのは、どんな状態でもスムーズに物事を運ぶ為の、質の高いコミュニケーション性です。ここで言えば、「教え上手」「教えられ上手」ですね。 この「教え上手」「教えられ上手」…一見相反して見えるモノですが、コレ実は 近似義です。ちぅより「教え上手」は「教えられ上手」であり、「教えられ上手」は「教え上手」となります。相手との相性や性格的な問題で、どちらかに片寄る場合も有りますが、この2つのどちらかを持ち合わせている人は大概、逆も上手です。何故かと言えば、双方の技能に絶対必要なモノは…「相手に どれだけ近づいてから、問答作業に入るか」と言うコレ一つ。コミュニケーション分野の一端でしかないんですね。 例えば、コンピューター関連の質問で「こんぴーたーって、何でしょう?」と言われても、全く質問の意味が分かりませんよね。これは極端な例ですが、大なり小なり「教えられ下手」の方はコレです。相手から何を聞きだしたいのか、質問の背景に何があるのか、相手から何を教わりたいのか、全く焦点が絞られて無い状態で質問してしまうんですね。ですが返って この場合、相手が「教え上手」ですと「教えられる側」が 何を聞きたいのか、話をとにかく進めて掘り下げて質問の焦点まで 一緒に辿り着いてあげて、それからが本題として話してくれるんですね。ただ、一緒に掘り下げてもらう この時間、相手にとっては非常に迷惑で無駄な時間だと思いませんか?それに 一度や二度ならともかく…いえ、一度も相手にしてもらえ無い場合もあります。ですから仮に質問の答えが明らかとなったとしても、この時点でコミュニケーション失敗です。とっても「教えられ下手」と言う事になります。 では、「教えられ上手」になる為には どーしたら良いか。参照したサイトにある こちらの「その1:知識武装をする」最低限の基本は、これですね。問題となって来るのは、1.質問が漠然とし過ぎてる。2.質問周辺状況が明確で無い。3.質問するまでの段階に辿り着いていない。この3つは正直 回避しなければ、質問する相手に非常に失礼な話です。ですが、これを満たす為には 「知識武装」をしなきゃならない…と言うより、せざるを得ないと言うことになります。本当の意味で質問に辿り着く寸前まで、自分で調べる事です。それによっては、質問事項が増える場合もありますが、周辺事情を知識武装により明確にしてる分、仮に質問数が増えても、相手は質問の意図を理解出来るから、嫌がらずに答えてくれるでしょうし、それ以前に 知識武装していく過程で大概 答えが出るモノです。結果、質問する必要が無くなる場合も少なく無いと思います。本当に、コレ基本ですね。そしてこの知識武装が、教える側に「どれだけ近づいてから、問答作業に入るか」と言う事です。では、どの様に知識武装するか…ですが、方法は色々有りますよね。新聞・雑誌・辞典・インターネット検索…これで ほとんどコトが足りるはずです。この「知識武装」による「相手への接近」が、教えられる側の行為としての大半を占めていると認識した方がイイと思います。 これは、「教え上手」にも同様の事が言える訳で、質問された時に相手のレベルを見切り、どれだけ掘り下げて話をしてあげられるか、「相手に どれだけ近づいてから、回答に入るか」…これが出来るか出来ないかが「教え上手下手」をハッキリ分けます。自分の言葉で流暢に話してあげて満足げに浸ってる方は、相手が 万が一 それで理解したとしても「教え下手」です。何度も通用しないと思います。相手が理解できる言葉を使うのは当然の事、相手が話の流れ易い方向から答えに辿り着かせてあげる事が大事だと思います。 物事を初めから 何もかも知っている人間なんて いないんです。質問された時には、自分も ソレを知らなかった頃に戻って、どーやって理解して行ったかを思い出しながら話を進めてあげるのも一つの理想ですし「教え上手」側の方法論の一つです。そしてこの「教える側」である自分自身への帰依作業は、「こーやって聞いてくれれば、相手も教え易いのか」「ここまで知っててくれると教え易いんだろーなー」と言った、そのまま「教えられる側」気分での反省作業となるはずですし「教えられ上手」となる近道だと思います。更にコレは「教えられる側」が、将来「教える側」に立つ時の教訓となるとも言えますね。この繰り返し。ですから、本物の「教え上手」は「教えられ上手」でもあり、その逆も然りと言う事になり易いんですね。 最初の方で コミュニケーションの一端と書きましたが、この「相手に近づく」と言う作業は そのまま「協調性」「順応性」と言うものまでも包括して考える事が出来る、社会生活に於いて非常に大事な能力の一つだと思います。「どーせオレは教え下手」とか「私、教えてもらっても全然分かんないんだよね」なんて吹っ切れたり諦めたりしないで…努力と意識で きっとカバー出来ると思います。非常に大事な個性の一端として、考え直して「教えられ上手」を目指してみては如何ですか?…と言いつつ、自分でコレ書いてて説明下手を自覚し、更に実際「教えられ下手」な私も、反省したいと思います(つД`) |
懲りもせずに「ゲーム脳の危険性」を語る、お笑い三等兵の登場です。香ばしさ満点です。これで日本大学の教授やってるんだから、日本大学でコヤツの講義を受けてる方々は本当に不幸だと思います。ではまずは、ゲーム脳とは如何なる物か?と言う おさらいからしたいと思います。ゲーム脳とは…どんな辞書にも普通は載ってません。それもそのはず、このお笑い三等兵が作り出した造語です。では、こやつが語る「ゲーム脳」とは…私自身、恥ずかしげも無く堂々と語るのは泣きたくなりますので、リンク←コレの事です。子どもの脳が危ない つまりゲームをする事で、脳波5種の内の2つ アルファとベータの比較に置いてアルファが強くなると言う現象です。コレね、実は当たり前の話と言うより、本来は そうなんです。逆に、ベータが強く出てくる環境とは、いわゆる現代的なストレス環境への対応。脳がリラックスする段階がアルファ波であり、それを超えて本当に寝てしまうとデルタ波になります。逆に興奮状態になってたり、キレた状態になり見境いが無くなる時は、ベータ波よりガンマ波が強くなるんですね。順番に並べると(寝てる)デルタ⇔シータ⇔アルファ⇔ベータ⇔ガンマ(キレてる)だから単純な話、デルタ波やシータ波が強くなると言うなら納得出来る部分も有ります。つまり、起きてるのに脳が寝ている状態…夢遊病・痴呆現象ですね。そもそも、癲癇や凶暴性を起こすとさえ言われ問題を蒙らされて来たゲーム業界。アルファ波の状態でゲームを出来るワケがありません。この時点で既に話が特殊に限られているか、作られているかですね。それに仮にそうなら、アロマテラピーやるより、ゲームやった方が良い事になりませんか?都合が良すぎ。非常に恣意的です。ゲームによって、アルファ波がベータ波を上回る原因について、この三等兵は「ゲームの反復作業により起こるもの」と吼えており「解消するには お手玉が良い」と断言してます。お手玉は反復運動じゃないと言う事ですね。どさくさ紛れに、日本お手玉協会会長にも就任したい意向の模様。素晴らしい信義の持ち主です。ゲーム脳/cafe blogさん で、仮にアルファ波だとして、それによって記憶も司る前頭葉前野が鈍ると言う話です。前頭葉前野とは人間が使っている脳みそ…大脳を、その用途別に地図にした場合、その内の一角…前頭葉連合野の中の前頭前野を言い「アタマ、オカシイんじゃない?」なんてこの三等兵に向かって話す時、きっと おでこを指差しますよね。その位置に当たります。知覚中枢とも言われ、思考・性格・記憶・感情を司る、人間たる本体に当たる部分ですね。コレが鈍ると痴呆を起こす。確かにそうですが、この場合は随分極端な方向性です。皆さんも経験有ると思いますが、仕事や勉強で、いっぱいいっぱいになると、他の事を言われて思い出せない時が有りませんか?それと一緒。情報に対する記憶と言うものは、海馬と言う所で一時的に貯められ、長期間必要な記憶を徐々に前野に送る。一定期間使わなかった為、軽微と認定した情報は海馬の時点でカットされます。仮に過剰な情報が脳に送信された際、海馬は容量限界で あっぷあっぷしちゃいます。すると記憶を前野へ送る神経細胞(ニューロン)は送電線(シナプス)を増やそうとしますが、シナプスも送信量には限界が有ります。結局、海馬に記憶を貯めたまま。海馬自身、そんなに長時間情報を貯めて置けませんから、優先されない情報と認定する期間が短くなります。だから長期間では本来必要だった記憶さえ消去されてしまう。これがド忘れの構造。実際、一般生活をしてる時でも起こっている話です。ゲーム脳の講演に行ってきた。/おととひのだいありさん 仕事で、こんな経験ありませんか?新入社員の1日目「何もしないで座ってただけなのに異常に疲れた」これは道理で、何もしていなくても脳が働いてるからです。新しい環境に対し五感を使ってソレを、徹底して情報収集しようとしています。新しい環境ですから収集する情報も膨大なものです。その後、自宅という慣れた環境に戻ると情報収集する行為から脳が一気に開放される。そのギャップ。これが疲れる原因です。ゲームは特にソレが逐一起こるだけの話だと思います。つまりハードは同じでも、それぞれのゲームソフトによって画面に映る世界は全く違うもの。て事は、新しいゲームをする度毎に脳は情報収集を一から始めようとする。同じゲームを何度もやる事は無いでしょうから、ゲームでは常に脳の情報収集現象を起こす。これが情報過多、又は慢性化となり、脳の麻痺やアスベルガー症候群的なモノを引き起こす原因になってると思います。ただ、あまりにも簡単に麻痺するのは、単純に脳みそを使っていない証拠。本来、人間の脳みそは常時1割も使っていないんです。コレで情報過多を引き起こすのは、元々周囲に対して反応しない脳にしてしまった今までの脳の訓練不足に原因が有ります。普段から、脳のリラックスと神経のピリピリする状態への区別を付ける事に慣れていれば、これで十分な訓練になるわけです。友達の家に初めて遊びに言った時など、意味無く部屋の周りをキョロキョロ見たりしちゃいますよね。目新しい空間では視覚を中心に五感がそうするように、暗い空間では聴覚を中心に五感がそうするようになっています。あれも、人間が本能的に周囲の状況把握する欲求と、大脳新皮質的に環境情報の収集・整理を行おうとしているからです。相手に嫌がられなければ、これもあまり無理には抑えずに…実は一つの訓練になってると思います。女性の「現役ゲーマー」は15.6%――ゲームと女性の実態調査まとまる これで、私の答えの一部は見えてくると思います。つまり、ゲーム脳らしきものと言うか、反応の様なものは確かに有ると思います。ただそれは単純に非難されるべきものでは無く、うまくすれば脳みそ の訓練になると言うことです。初めての環境に対し、情報を一生懸命収集するだけで お終いな脳みその人間と、収集に慣れている為、収集したばかりの情報を少しずつ使い出してみる人間と、どちらの方が有効且つ有益か?コレは地震などの災害時でも同じ事が言えますし、生死を分ける問題にも繋がりかねないと思います。だから「ゲーム脳化した連中は、20年勤めてるベテランの様に図々しい」という言われ方なら多少理解出来ます。 ただ当然の事ながら、お笑い三等兵の話が有ったが為に、ゲームから起こりうる一つの可能性を述べただけの話であって、決してイコールでは有りませんし、先程の脳波の話でもベータ波が続けば脳の疲労、アルファ波ばかりだと確かにボケてきます。何事もそうですが「やりすぎは(・∀・)イクナイ」ちぅ、ただそれだけの話です。それにしても、このゲーム脳とやらが痴呆に結びつくとは…ついでに、テトリスが旧ソ連の殺人教育用とは…同じ森でも恐いもの知らずの お子様:森嘉郎でさえ言わんぞ;この三等兵は、本当にコレ系の大学教授なんですか?と日大の学生さんに聞いてみたい。ついでに講義聴いて、オチレポしたい。確かに可愛そうだとは思いますよ。たまたま思い付きで、たまたま調べた結果が異例だった。それを公表したら、自分を置いて話だけ一人歩きしてしまった。立場を捨てたくないから、話を後から取り繕うしかない。悲惨と言えば悲惨。情けないと言えば情けない。まぁ願う事は、どれだけポアサハラに近づけるか楽しみな大将だと言う事です。子どもの脳が危ない 医学博士・森昭雄氏講演 in 越谷コミュニティーホール(17日付け)/efaさん |
◆一緒の飲み会、管理職と若手に意識のギャップ コレは、現在の年配の方と若い方の飲み始めた頃の状況が、全く違う状態であると言う事が原因の一つだと思います。今、御年配の方に、大学や会社に入ってからソコで出来た知り合いと、酒を飲んだ事が初めてと言う方は、どれくらいいらっしゃるんでしょう?50代後半・60代でコレは、ほとんどいないと思います。酒の横には少なからず親の影が有った。親・家族・親戚等々身内に酒を飲まされた。と言う経験が少なからず有った世代。コレが酒を飲む原点になっていたと思います。ですがこの下、核家族化・家族関係疎遠の最高潮に青年期を向えた50代前半・40代・30代後半。酒を親子で飲むどころか、一緒に食事をとる余裕も無くなった親だらけになってます。ましてやその下、30代前半・20代になると、親自体が酒の飲み方を教えられてない世代に突入。酒を自力で飲み始める結果に至ったわけです。自力で飲み始めてるので、当然親の姿は有りません。周囲は同年代の人達。酒を隔世代と飲むのが当たり前の世代とは、ここで大きな差が出てきます。 年配の方にとって飲み会とは「周囲、そして隔年の世代の人達とのコミュニケーション」と大事なモノに捉えるでしょうが、若い側にとっては、あくまで「周囲、そして同年代との遊びの一つ」に他ならない。遊びである以上、それほど重要視されるものでは無いし、飲み会で極度な上下関係・説教・気遣いを強いるのは言語道断な話です。飲み会に於いても、そこから出てくる雰囲気の違いは計り知れません。つまり、年配の方の酒と若い連中の酒は、同種でも全く異なるものになってしまってます。 これが当たり障りの無い原因だと思いますが…。 |
◆やってはいけない!商品先物取引 「出来ない事が有れば、良い教材が有る。教材を買っても、後で元は取れる。」と言われるでしょうが、この時点で既に 押し売りの術中にハマってると思って下さい。本当に得する話であれば、あなた自身、赤の他人に簡単に教えますか?わざわざ儲け話を宣伝しますか?イイ話を先に聞くと、話の続きを聞きたくなるのが人間の弱い所。電話が来ても、よーく考えて行動して下さい。 ついでに嘘請求の脅迫電話も多い昨今です。他にも こんなサイト集がありますので、勉強してみて下さい。 |
◆小遣いの50円餌代に使って 東京の少女から市長に手紙 ニュースにもならない。何処にでも有る様な話。…って言えますか?最近、こーゆー感性が大人のみならず、子供達からも失われてる気がします。詰め込み暗記学習の異常啓蒙が高度な知識収納力を鍛え、強引な学歴・資格の偏重が学習意欲の強制・水準化を生んだ。明治以降、福沢諭吉的な学問の考え方を重用して来た日本の教育。世界でも有数の頭脳集団を構築し続けた日本の教育。しかし、その方向性は果たして、思う理想に少しでも近づいたんでしょうか?実際の教育現場を学生時分でしか味わなかった私には何とも言えません。ですが、実際の社会を見回すと「ヒトが壊れてる」って気がしてなりません。知識・学歴・資格偏重による悪性のおかげで、感性・感情の歪み切ったヒトが、我がモノ顔で当然の如く社会を貪り続け崩壊し掛かっている。その状態に慣れ切ったヒトは、その腐敗を微塵も感じずに過ごす。だから悪性に歯止めが効かない。今がその一番の過渡期だと思います。大人達は子供達に、どう育って欲しいと思ったんでしょう?こんな壊れ方を望んでいたんでしょうか? この話は、とても小さなお話です。昔は、ありふれていた、あふれていたお話です。ですが私自身、とても久しぶりに懐かしく、忘れていたお話です。気持ち・感情・感性…本当に大事な何か…忘れていませんか? |
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