本当の反戦

だいぶ昔のエントリーですが、とっても良い文章なんで。コレは一度、読んだ方が良いと思います。冷静に『反戦を考える』とは一体どーゆー事なのか、ギャーギャー騒いで調子に乗っているサヨクやプロ市民は 特に。以前も書いた通り、憲法第9条の改定と『好戦』の意思とは関係が無い事。『戦争反対』を意気揚々と掲げて、理も無く政府に抵抗する事しか考えていないと言う行動が、如何に幼稚で、むしろ好戦的な思考の持ち主であるかと言う事。日本人の感覚として、余計に『反戦』『反日』を煽られ精神的自虐へ追い込まれれば、返って戦争を意識してしまうと言う事。正直言えば、サヨクやプロ市民は、ソレを分かっていて騒いでるんでしょうけどね。

年を追うごとに街宣カーで騒ぐ極右が減ったのと反比例して、サヨクや市民団体が集会を開き騒ぎ出す…何の事は無い、極右中枢がサヨクに移っただけの話です。『帝国バンザイ』を騒ぐのと『戦争反対』を騒ぐのは、決して相反するモノではなく、いずれも『戦争』を意識させる指向性。むしろ『戦争反対』を騒ぐ方が、日本人の性格からして受け入れやすいと言う事…分かっているんですよね。ソコで持ち上げられたのが在日連中であり、共産主義国の崩壊を経て、彼らの本国:中韓朝との反日連携ですもんね。何故 以前まで日本相手に騒がれていなかったモノが、ココ最近になって その活動の異常振りが顕著になってきたのか…まずは、中韓の歴史捏造の成果が20年経って ようやく実り出し、ソレを待ちわびていた『共産主義国崩壊により行き場の無くなった共産主義者』と『現在の民主主義では全く相手にされてない極右連中』。いずれも現状の日本の民主主義が嫌いだと言う所で一致する話で、その2つが『戦争反対』を騒いで、戦争意識を煽る…テロ活動っつーんですよ、そーゆーの。

と、バカの相手は さておき…言わせてもらえば、こーゆー時の日本政府の姿勢にも問題が有ります。謝れば良い、金を払えば良い…明らかに日本人的な思い上がった発想です。それでは何かを忘れている様な気がします。彼も国なら、我も国なんです。明らかに同等の国であると言う外交を行わなければならないんです。コチラで書いている通り『離婚の危機だけど、俺が謝れば妻は必ず許してくれる』そんなの普通無理です。そして、その逆も然りです。60年前の事を謝罪要求する人なんていますか?戦後60年を経て謝罪と賠償を求めてる国…そんな国、他にどこにありますか?歴史上でも 他に そんな国ありましたか?如何に異常な国を相手にしているか、それ以前に習慣的な理性や感覚が違いすぎます。隣国でありながら、隣国とは とても思えない国。同じ人種とも思えない、欧米や他の全世界の国よりも遥かに遠い国…ソレを相手にしている事を重々日本政府は理解して欲しいと思います。

そもそも、ココまで亀裂を作りたがる様な中韓相手に、そんな事しても関係修復なんて出来る訳が無いと思います。せっかく国交を回復した日中平和友好条約日韓基本条約ですが、中国は、その内政不干渉を破り、韓国は、条約に於いて 戦後の賠償問題について韓国人への個人賠償を申し出た日本政府に対し、ワザワザ国家賠償をさせたにも関わらず、今頃になって韓国人が個人賠償を請求してくる異常さです。付き合いきれない度合いを超えてしまってますし、明らかに条約違反です。ですから、いくら近隣国であっても 一度離れるべきだと思います。さっきの離婚話では無いですけど、一度完全に離れてみないと、この状況って回復しようにも回復出来るモンぢゃ無いと思います。

な訳で、仮に国交を一度絶つとします…まず 中国は日本製品が無いと生活に無理が出てくるし、日本からの資本流入が無いと現状の高度経済成長は真っ逆さまに墜落です。先日の反日デモによる この前後の日本人の中国拒絶反応により、中国経済の象徴である上海は、地価が一時2/3程度まで下落したそうです。そんな、非常に良いサンプルが出来てしまいました。ですから実際に日本の中国への資本流出をシャットアウトすれば中国内の経済崩壊は多分、日本のバブル崩壊の比では無いと思います。ただ、アメリカ・日本・EUの様に全世界的な関与が比較的少ない国ですので、世界恐慌を引き起こす可能性も低いと思います。要は自壊と言うヤツです。一方、韓国は…日本がいなけりゃ既に死んでる国です。バカ3国に於ける経済的懸念は対中国のみです。アレは ホッとけば自滅します。

そして日本は、現状で輸出の10%程度を中国に頼っている以上、経済的なダメージを被る訳ですから、新たな輸出ルートを探さないとイケないです。北欧か東欧辺りが1つ目、中近東・南アジアが2つ目…その辺りが狙い目です。中国輸出に比べ、輸出ルートが延びる分、物価上昇は否めないですが、中国の経済崩壊により一気に原油の値は下がりますから、チョンチョンですね。ですが、日本の後押しに際してはG7を筆頭に先進国が付いていますから、孤立するのは表面上中国の方になりますけど、実は 海外に存在する中国人と言う問題が残ってます。先日の反日運動の お陰で、キーポイントとなってくる所在と拠点は明確になってきたはずですから、それに対する対処が大きな問題となりそうです。それともう一つの大きな問題は中国の核。コレは現状では無理が有りますので、今の所、アメリカに頼らざるを得ません。その間に、完全な海上・領空封鎖と、核を着弾前に破壊できる方法は模索しなければならないです。となると やはり、日本が平和でいられた大要因であるアメリカとの今まで通りの親密な関係、それから防衛力の増強は必要不可欠なんですね。結局、東アジア3バカに対し、日本がすべき優先課題は、経済の問題と平行して防衛力の問題が出て来る訳で、それは現在問題の北鮮への経済封鎖に関しても言える事なんですね。『1国での経済封鎖は意味を持たない』と経済学上の常識とされる観点は、東アジアと言う領域の国家間事情に於いては事実上、経済ルートの問題だけでは無く、防衛的側面として『やるなら中韓鮮を一辺にやらないと意味が無い』と言う事です。概略的に大きな問題である、経済と防衛に限ったシナリオは、こんな感じになると思います。

本当は中国とも韓国とも仲良く出来れば良いと思います。ただ、現状がソレを許すか…と言う問題です。中国や韓国が主権を持っている国であると同等に、日本も主権国家です。なのに平気で竹島へ不法侵入されたり、東シナ海の天然ガス問題も予断を許せない状態です。不発なれどもノドンが飛んで来るし、潜水艦も進入して来る。正確なのかどーなのかも分からない様な歴史を声高にして、日本の学校の教科書にまで非難をし、果ては神社参りにまで口を出す。また、誤った歴史教育で反日を煽る連中は国内外にいると言う現実。こーやって仕掛けられているのは、いつも日本です。そんな連中に謝罪を繰り返し、ナンクセけられて経済援助という名の賠償を繰り返しているのが この日本です。日本は主権国家であり、決して中国や韓国のオモチャでは ありません。ソレを日本人の皆さんも、中韓朝の人達も、しっかり認識して欲しいと思います。こちらの文章でも最後に『日本人に子々孫々にまで何回も謝罪を要求し、完全服従を要求した場合、それを日本人は戦いへの挑発ととるのである』と書かれています。こんな恐喝を繰り返されたら、さすがに大人しい日本も黙っていないです。

ですが、戦争と言う暴挙に日本は出るつもりは有りません。こちらでは『反戦というのを可能な限り真摯に考えるのならば、核武装という結論に至るはずである』とも書かれています。確かに、完全に感情を除外して突き詰めれば、そーなる結論の選択肢にも至ると思います。が、日本は核被爆国として核に対し非常に警戒感を持ってます。また、私自身も感情的に日本に核保有して欲しくは有りません。そこまで感情を抑えて、極度まで理論的に突き詰めようとする自信も有りません。だからこそ、別の糸口…国交断絶です。恐喝を繰り返されているのに、反撃を許されず、助けも警察も呼べない状態であるなら、普通ソコから離れるしか無いんです。『その連中に近づかない、関わらない』が当たり前です。

『平和』と言う言葉を免罪符にし『戦争反対』と騒ぎたて ワザワザ戦争を意識させる行為が、謝罪と賠償を延々請求すると言う行為が、日本人の感性から鑑みて如何に危険で愚かな行為であるか。中国が そんなに戦争をしたいならブラックホールの中にでも行って勝手にやってくれと。韓国人のクレクレ乞食はイイ加減にしろと。元々戦争なんてする気の無い日本人を本気で怒らせると どーゆー事になるのかと。分かっていて茶化しているのか?と。まぁ…日本のサヨクやプロ市民は、それを承知で やっているんでしょうけどね。

普通の日本人は、戦争する気も したい気も、毛頭無いんです。もう嗾けるのは、もう煽るのは本当に止めて欲しいです。本音を言えば日本人は、現状の中韓朝には関わりたくないんですよ。60年は経ってますが、それでも戦争責任を言うなら、事実を捻じ曲げるような事はせず、本当に現実の歴史を洗い出し、それからやって下さい。既にそれ以上の賠償も謝罪も国交回復の条約制定時でしているハズですけどね。日本が疑問を持つ歴史を煽り立てたって、それは歴史の捏造と言われても仕方の無い事ですし、日本の歴史研究にも不十分な部分が有るんでしょう。ですが、本当の意味で、お互い捏造せずに じっくりやってみて下さい。話はソレからだとは思いますけど…いやホント、関わりたくない国ですよ;;

『何故、戦争を意識させる様な行為をするんだろう?ワザワザ煽るんだろう?』コレが日本人の本音であり、反戦を しっかり受け止めている日本人の思考です。本当に『反戦と平和』を認識させるなら、まずは戦争を意識させない事。何故これが分からないのか本当に不思議です。

9.11選挙と新たな時代。

久々に あの笑えるサポセンchikiさんのブログ:成城トランスカレッジ!を巡回させてもらったんですが(サポセン辞められたそうで、それから巡回が遠のいていたんですョ;)…人文系だったんですよね、コチラのブログ;凄いエントリーをいきなり魅せられて、ビビッてしまいました(それでも途中疲れない様、上手い具合に笑いを交えているのは、さすがです)。ちぅわけで リンクも含め、かなり読むのが大変ですが、非常に良心的な経済論です。今回の選挙を終え、日本のこれからへの展望について…と言う感じ。

難しい事は、私 分かりませんので 軽く触れて逃げたいと思います。では…経済活動分野に於いて、この郵政民営化とは一体何の象徴であるのか。こちらでリベラリズムによる経済進化の趨勢について扱われてますけど、バブル期から現在までの日本は、経済と政治と言うものが必要以上に密接な関係の包括保守政府主導型経済に近い…要はケインズ主義に近いと思われるんですね。とは言え、90年代のネオリベラリズムを一応通過している訳で、決して世界経済の流れから遅れているワケでも、ブリ返しているワケでも無いんです。日本人と言う気質の問題が、時間の経過により相対的に肥大化となってしまった政府を維持した為、ネオリベラリズムから消極的な包括保守政府主導型経済へ流動してしまったんです。

日本人の気質と言うのは、経済活動に対し貪欲的である一方、攻撃的では無いんですね。要は安全圏を確保しつつ、その間に次の獲物を探しておく。安全圏を確保した部分から、獲物への関与へ移行させる…休む事の無い その繰り返し。経済活動の個々を球と考え、化学式のブロックモデルみたいなモノを想像して頂くと分かりやすいと思うんですけど、中心から触手をいくつか出し、次の点に至った所でその点から球を発生分化させ 方々に別球を作り出す様に膨れ上がっていったんです。その球の膨れ方は各所に球の中心たる中継地点を持ち、その中継地点を基準に更に広げていく球を構成する。当初は中心のみの小さな点だけが中継地点だったわけですが、一端中心から離れ別球を作りだすと後戻りができない…次に作られた球の中心:中継地点が基準となり、手前の中継地点を一度安定させといて、次に移る。そんな経済の拡大を起こしていたんです。表面上は中継地点同士線で繋ぎ、中継地点を中心に球を作り出していく構図。こうして無数に作られた球と中継地点ですが、では大分以前に作られた中継地点と 現在乗っかってる球の中継地点との安定は保たれているのか…ここに不安が有るんですね。直前の中継地点との安定までしか視野を持つ事が出来なかった…それほど球の展開は急速すぎて、そこまで考慮しようが無かったんですね。

もしこの時期の日本人が仮に 貪欲的であり攻撃的であれば、面倒臭い中継地点などを作らずに、ビックバンの如く一気に拡大と言う周囲を飲み込む形を取り、広げすぎた為に攻撃力が弱くなった所で一端停止し、球内部の拡充を図り、またそのまま同心球で徐々に広げたはずなんです。要は球周と中心の関係は ずっと保てた訳で、穴だらけスカスカの球では無く、身の詰った強固な球にまで発展できたはずなんです。ですが、残念ながら日本人にその気質は無かったし、高度経済成長期からバブル期にかけて、日本人の能力では追いつけない速度にまで過剰に球の量産を競争し その触手の拡大を成功させるが故に、安定性に懐疑的でありながらも、突き進まなければならなかった競争経済の熾烈と言うべきだったんでしょうね。つまりバブルを謳歌しながらも、休み無くサバイバルの立場に置かれているが故の葛藤だったんでしょうね。結果、お互いの球同士に それほどの重い負荷が掛からないうちは危なげながらも やっていけたんですけど、負荷の掛かる球を一つでも付けてしまうと、お互いの中継地点との関係が希薄な為、途端に壊れてしまう訳です…した訳です。この現象が以前も書いた、そんな経過を踏まえたバブル崩壊ですね。

こうしてバブル崩壊を起こした日本は、個々の球と触手:パイと中継地点の全崩壊迄には至らなかった訳ですが、各々の中継地点を辛うじて残したまま 各々が孤立し、各々がそのパイの安定を図ろうとして小さくして行った。これがバブル崩壊後の日本の姿です。で、こんな状況だったんですが、この期に及んでも安定していた大きなパイが一つ残っているんですね。それが、負荷の掛かる重いパイを自己パイとして存在させていた『政府機関』ちぅヤツです。そしてこの後どうなるか…それが---包括保守政府主導型経済---擬似ケインズ主義と言う流れになってきます。とまぁ、擬似ケインズ主義と言いましたけど、単に政府が肥大化したわけではなく、日本経済に合わせて徐々に大きくしていったワケで、バブル崩壊により他のパイが一気に萎んでしまった為『全体に対し あくまで大きなパイを持っているから目立つ』と言う事であり、政府主導が能動である旧来のケインズ主義とはまた異なるんですね。ケインズ主義の弱点は、過剰を起こすとその結果 経済競争力を弱体化させる事。容易に失業者が増えたり、固定階級社会を生み出してしまう。いわゆる日本の現状であり、守るタイプの経済論の弱さなんですね。もう一つ問題なのは、ケインズ主義へ移行し政府の力が大きくなると、それだけ国の借金を増やす事になり、更に重税がのしかかる…いやホント、現状の日本なんですけど…でも、ちょっと違うんです。

昨今の日本は、政府主導ではあるが政府能動に於けるケインズ主義のパターンでは無いと言う事。結果残ったのが政府機関であって、あくまで政府の意思で こーなったワケでは無いんですね。この状態って、最悪です。政府主導が受動的意識下であり、それでいて 一般国民の側は、先に述べたケインズ主義へ移行した時と同等の圧迫が掛かる『経済も立ち直らず、重税に苦しむ』と言う経過的な人災を引き起こし、更にネオリベラリズム的に放置されているんですね。この擬似ケインズ主義と言うモノは、当初から決定付けられた固定階級社会を産みだし易い土壌を作り、そもそものケインズ主義的本流にいる連中が、中上層階級として生き残る…移行した途端に能力を加味せず決定付けられてしまう形なんです。

そして 先程も言いましたが、現状に於いて このケインズ主義の本流が『消極的に目立つパイ』だと言う事が、その『目立つパイ』は資本主義的な経済活動に直接留意しない存在でありながら、その経済活動を延々と喰らい続ける存在である事が、現在の問題であり、それゆえの構造改革であり、小さな政府であり…その取っ掛かりが郵政民営化だと言う事です。要は、まだ始まったばかりなんですよ。『目立つ大きなパイ』を一度故意に小さくし、散々と孤立しているパイへ伸ばせる触手を現在より多めに作り出そうとしてるんですね。

包括保守政府主導型経済…とはいえ 日本は、政府が安定を支えられなくなっているほど 一度経済活動を広げすぎた故に、今更 政府が同じパイを保ったまま、残骸を大量に抱えた土壌で、経済再生を促すのは不可能なんです。他方、残骸を抱えすぎている土壌が、その政府と言う大きなパイを支える事は 不可能になってしまっているんです。公務員の全部が全部何も働いていないとは言いません。ですが、税金を投下してまで雇用する価値のある公務員か、どーかは別の話です。とは言え『内部査定』等と言うものが、損益感覚・商勘定感覚を そもそも持ち合わせていない状態ではアテにならない事が明白であり、だから思い切って事業形態で振り分けるしか無いんです。小泉総理の言う『民間に出来る事は民間へ』…郵便事業の民間としての新しいパイと、政府の民間への触手を生成、支える民間と言う土壌側の負担軽減…やっぱり、まだコレが経済再構築の始まったばかりと言う事なんですね。

で、再構築が始まったばかりですが、だからこそ この段階で考えなければならない事…それが『グランドビジョン』と言う視野です。郵政民営化だけでは全然足りない事は事実ですが、闇雲に小さい政府にしても意味が無いんです。小さなパイにし、新たに発生させた触手を、残骸と化しているどのパイに繋げていくか、今は残骸と化しているが 繋げれば新たなパイを作り出せそうな有益な残骸はどこにあるか。正確に残骸の位置を全体像として把握し、優先順位を付けて行かなければならない。また、土壌に支えて貰う為に、政府パイのどの部分を切り落とし、別の新しいパイとして作り上げるべきなのか。政府と言うパイが点として霞むほどマクロな視野を持って、また 政府パイにメスを入れるほどミクロな視野を持って、見つけ出さなければならない…と言う事です。現状で問題が山積な日本だからこそ、日本政府に この視野を持つ事が出来るのかが急務です。本来『マニュフェスト』と言うモノは、そこを検証してから提案して行くモノなんですが、それが分からずに形式だけで先走る…ここ数年から現在までに作られていた『マニュフェスト』と言うものは、全然 論拠が存在しない絵空事でしか無いんですね。郵政民営化は その試金石であり、トンネル工事の最初の爆破に過ぎない出発点なんですね。

NHK「日本の、これから」第一部

コレ、途中から見たんですが…後半も途中でチャンネル変えてしまい;;まー誰か全部通しでテキスト化してくれるだろうと待ってました。感謝です。まー全体的に見て、町村外相と櫻井お姉さまのツートップが絶妙なんですが、司会者が異常に偏っていたんですよね、あのサヨク教師が話の途中でシャシャり込んできても、司会の役目を果たさないくせに、めげずに お姉さまが論破して場を制して独壇場と化すと 必ず話の途中で切る。司会を黒岩さん辺りに変えれば良かったと思います。谷村さんは話に付いて行けてなかった感じでしたけど。さておき あの教師、本当に失礼なヤツだよなーと思ったら、案の定 在日支援団体の支援者ちぅプロ市民のヤクザだったワケですが…他人の話の途中でシャシャり込んで来るのが礼儀知らずだとも感じないのかな…どーしよーも無い。そんな非常識が教師をしている自体、片腹痛い。止めない司会者も司会者ですけど。ついでに、この番組の後で色々出てきた話の一つですが、フタを開けてみたら あの場にいた8割方が、在日かプロ市民か中韓人…よく、これで「日本の、これから」なんてタイトルで番組として成立させたもんだな、NHK;

ちぅわけで、内容に出てきた いくつかの関連を…

じいちゃんの話

日本軍 731部隊の生体実験動画、歪曲報道

「あの蛮行は国権強奪前に行われた」

南京虐殺

南京大虐殺 - Google 検索

Yahoo!検索 - 南京大虐殺

MSN サーチ Web: 南京大虐殺

ここからは、ハッキリとキツイ事を言いますから、嫌な人は読まないで下さいね。えらい、長くなっちゃったし;

ちぅわけで ハッキリ言いますが、日本人って「虐殺」っつー感覚が分からないんですね。中国の様に そんな歴史や文化が無いから。むしろ「南京大虐殺」と言う日本史で『虐殺』と言う言葉を認識した日本人も結構いるはずですし、私も実は その一人です。どっちかと言えば、『大量殺人』と言われた方が、多少イメージは出てくるんですね。で、『虐殺』と言われて無理にでも他に探そうと、日本史を紐解いてみると…慶長の役の時、秀吉の甥の小早川秀秋が朝鮮の女子供を沢山殺したそーで、それに対し怒り狂った秀吉は、朝鮮出兵総大将の任を解き帰国させ、次期関白の座から外したんです。彼のその後は有名な関が原で裏切り行為ちぅわけで…あとは…それまでの日本国内では、あんまりそれらしきモノを思い出せないんですね。基本的に「虐殺」が認識出来る文化が無いんですよ、日本って。ですから 南京大虐殺と言われても、全然感覚が分からない訳で、だからこそ『中国の作り話』に捉われるんですね。まぁ、後の数の増え方からして、その可能性が濃厚ですが。ついでに『何千万人の中国人を殺害』と言いますが、核ミサイルも生物兵器も保有していない上に、当時の戦力で そんな事が出来るのなら、旧日本軍って異常な戦力ですよ。現在のアメリカ陸海空軍を総出しても、核ミサイルを千発ぐらい使わないと不可能です。当時なら尚更…旧日本軍の一個小隊は、現在のICBM並の戦力ですか…それなら あの戦争なんて、負けるワケが有りませんよね。

また、当時の世界情勢と日本を照らし合わせた上でも、この虐殺は考えづらいんですね。要は 日本は、欧米列強に追い付きたかった、欧米列強を摸倣し、その力を世界に知らしめさせたかった。正直な所、視野は あくまで欧米列強であって、中国や朝鮮などの後進国に対しては人的資源・物的資源、それから地理上の日本本土の防衛圏と言う見方しかしていなかったはずです。日本は その辺が圧倒的に不利でしたからね。それが当時の日本の本音だと思います。そして欧米列強を摸倣するという事は、キリスト教の思想も少なからず介入されてしまう為、「虐殺」と言う概念からドンドンかけ離れて行くんですね。そもそも人的資源の不足している日本が、何故 中国・朝鮮の人を殺さなきゃならないのか。領土を大幅に拡大するという事は、それだけ人的資源が更に必要不可欠なのは明白です。なのに、ワザワザ自ら人的資源を減らす様な自滅行為をしなければならないのか。その領地を治め、更に拡大するつもりなのに、何故その地域住民を殺す方向になってしまうのか。奴隷にする方が欧米の帝国主義に近い考え方だし、効率的です。で、同時期に旧ドイツ軍は ユダヤ人の大量虐殺をしましたが、コレとは同一視出来ません。全然『土地柄の背景から考慮される戦争の目的』が違います。単純に言えば 旧日本軍は 領土拡大=資源確保であり、一方 ナチスドイツは、領土拡大=ドイツ民族のみの欧州国家が主目的で あったと言う事。同一の世界大戦でも差の出る背景があり、東アジアと欧州の大きな差は、同一面積当たりの対立民族数が明らかに違うと言う事、これが延々 欧州戦史の要因であった極端な例であったと言う事です。一方、日本は古来から『領土の奪い合いは資源の確保』が大要因であり、それが延々と続いてきていたと言う…要は狭い国だから貧乏根性なんですよ。

そんな欧米列強もアジア・アフリカの植民地に対して奴隷政策を行っていました。つまり狭い範囲では細かい民族や習慣によって、お互いのイザコザが起きて戦争となり、相手民族を根絶やしにする思考が生まれやすいですが、許容範囲を超える広範囲な侵略には、奴隷体制もしくは同化体制が必要不可欠なんですね。奴隷体制は基本的に白色人種から有色人種に対して、同化体制は基本的にソレ以外の場合に取られる政策です。中国は古来から同色人種にも周辺国に対し隷属制を強いていましたけどね。中国は例外ですが、基本的には古来からコレが世界中で常識であり、実行されていた事です。すなわちソコの住民を奴隷だとして安易に殺す行為は、その土地の占領を放棄する事に直結します。帝国主義となり海外に進出を始めた日本も例外ではなく、中国侵攻以前に その事を朝鮮で理解し、満州で実行しています。とは言っても、朝鮮併合は少々別問題ですけどね。完全に中国属国に成り果ててしまっていた朝鮮を早急に日本化しなければ、大陸進出は無謀だと言う事を、欧米列強による半植民地化していた中国側からの日本進入を防げないと言う現実を、日清・日露戦争前後で日本は多大な犠牲を払って学んでますからね、世界の視野を。日本の国内大陸方面防衛前線地域…これが朝鮮と言う土地だった訳です。ちぅか、朝鮮の場合は長い間、中国への属国慣れし過ぎてて全然危機感が無かったから、保護国にしたんですけど…でも、その中国がアテにならないと思った朝鮮は、今度はロシアにヘコヘコしだした為、日本的には欧米列強にソコまで入り込まれるのは容認できるワケが無く、国際法規に則って『併合』した…と言うのが正解です。つまり、中国属国時点での奴隷制度から日本への併合によって同化制度に変更されたのが朝鮮…そーぢゃなきゃ、ずーっと奴隷民族だったんですけどね、朝鮮人って。なのに、既に保護国になっていながら そーゆー事をする…朝鮮人って、一体;…そーゆー感じです。でも、こんな感じだから、後にアメリカとロシアに弄ばれ、南北分裂なんて状態を…自業自得って言葉を知らないのかも知れないですね…まぁ、今回は朝鮮関係の話じゃないので、これ以上は止めます。中国の人達はアヘン戦争頃から20世紀前半迄の中国を、どー見ているのか知りませんが、日本を含め欧米列強は、明らかに中国を『国』ではなく、アフリカ同様に搾取し植民地にする為の『地域』としてしか捉えていなかったんです。日本はソレと同等に考えられたくない、植民地にされたくないという危機感から欧米に視点を置き、富国強兵に走り、欧米並みの帝国主義を成したんです。華夷思想って愚かですよ、当時は既に太平洋・インド洋を平気で往来できる船が当たり前だったんですから…世界視野でモノを見れば、屈辱でしょうが、そーゆー差です。

今 思い出しましたが、『虐殺』を言うなら先程の小早川の話よりも信長の延暦寺・長島の方が有名ですね。結局アレはナンだったかと言えば、領土内及び領土付近の狭い限定地域に於いて、自分の意思とは関係無く、宗教によって抵抗してくるものへの粛清。まず、当時の信長にとって、人的資源を必要なほど広範囲な土地ではなく、抵抗は迷惑以外の何物でも無いと言う事であり、宗教が人を戦争に送り出す事に対する怒りですね。人を動かすものは人でないとイケないっつー事です。でも法則的には、狭範の民族・宗教と言う『信長VS一向宗』なワケで、ユダヤ人虐殺に近い感はあると思います。が、ココでも『虐殺』ではなく『焼き討ち』と言ってるんですね。ですから『虐殺』と言う言葉自体、日本語としてさえ存在しづらい感じがします。まぁ とりあえず、確かにコレが『虐殺』と言う類になるであろう特例中の特例です。ただ、遊びで虐殺をしたり…それから人肉を食ったりと言う感覚は、そもそも古代中国から延々と続いてきた中国的な視点であり史観でしかないと言う事を思い知った方が良いと思います。ハッキリ言いますが『虐殺』と言う方向性は、その元祖である中国ならば、歴代王朝が ある程度安定している時でしか起こっていない事を、それが王朝交代の起因の一つになっている事を、むしろその状態で無いと『大量虐殺』自体不可能であると言う事を分かっているはずです。

何よりも、南京は今後の戦略に特に大事な拠点であったはずです。そんなモノ、当時の日本の勢力範囲を地図で見れば一目瞭然です。北から侵攻した旧日本軍は 南京の掌握と平行して、更に南方へ西方へ進軍するつもりであったはず、そして東方の琉球・台湾への安定した海路を確保したいと思っていたはず。なのに、拠点であるはずの南京で30万人の大量虐殺をする…そんな理由があると思いますか?ましてや、そんな余力が有ったと思いますか?中国は広いんですよ。南京陥落までで既に強行軍と化しているはず…疲れてるし辛いはずですよ。みんな筋斗雲に乗ってた訳でも無いし、みんなケンシロウでも無いんですよ。それを重々考えて欲しいと思います。この後、中国内部への侵攻は思う様に進まなくなります。戦線が延び切ってしまった為です。そしてそんな事は事前に了承していたはずです。ならば尚更、南京で そんな事をしていられるはずが無いと思います。わざわざ虐殺場みたいのを用意する為に南京を占領する…首都で虐殺って コレ、中国的な史観ですよ。日本から見れば、勿体無い事、この上ないんですよ。ギリギリの戦力で南京までやっと侵攻して、占拠して、それをわざわざ虐殺場に仕立て上げる…戦争を仕掛けている側としては、南京攻略までに多大な戦費を費やしている訳で、戦線の拡大により戦力も資源の消耗も著しく激しいわけで…むしろ、中国人を かまってる暇など無く、労働力としての利用が最優先だったはず。戦争って、遊びじゃないんですよ。やっぱり この話には凄く無理が有るんですね。

そもそも当時、南京の人口は20万前後で、翌年25万に増えていたはずですけどね。コレ自体30万人から遠く矛盾してますし、そもそも 20万の人口が翌年5万人も増えてると言う事は、そのままでも明らかに自然増では無いと言う事。仮にも虐殺したと噂されている地域に…何故、人が集まってくるんですか?20+35−30=と言う事ですか?当時の南京守備軍が10万くらい…ですかね?対して南京攻略の日本側は2万弱の一個師団なワケで、仮に援軍がいてもイイ所、も〜一個師団くらい…総数を多めに見積もって5万と言う事にしましょうか…んで、これで、どーやって南京守備軍を敗走させ、南京の一般人を20万人虐殺し、改めて35万人を何処かから連れて来て、またまた10万人を虐殺って…その全行程を2週間で?やっぱり、コレって、算数なら成立しますけど無理がありますよ。そもそも占領の原則に反してるし、無意味だし…どうあっても経過の説明に つまづくんですよ。南京大虐殺の主張の全体の流れが切り貼り切り貼りちぅ感じで、筋が通らないんですよ。

占領時に虐殺をするパターンは、明らかに中国のチベット侵攻みたいな状態…要は 戦力を持たない相手に対し、見せしめとしての行動…圧倒的な武力を見せ付ける為であり、また、領土の更なる拡範を考えていない場合…更に前提に『虐殺を手段とする文化』が存在すると言う条件下で…これだけの条件が揃わないと広範な領土の占領時に於いて、どんなに愚かな卑劣行動だとしても一般市民虐殺と言う行動心理には、原則として結びつかないんですね。で、南京の場合は、南京守備軍10万を相手に突破した時点で、見せしめは終わっているんですね。そもそも首都陥落です。これ以上の威嚇には何の意味も無いワケで、むしろ南京でマゴついている暇は無い訳で、中国を人的・物的資源としてしか思っていない当時の日本としては…もー どーしましょコレ;

そもそも中国が南京大虐殺の話を聞かされたのは、あの東京裁判であり、東京裁判に於いて 南京の名前を出したのは、中国にとっても首都であった事、旧日本軍にとっても『南京が特に重要な拠点』で有った事を まざまざと示していると言う事です。当時のアメリカは、それを十二分に分かっていたんですね。だからその名前を効率的にワザワザ使ったんですよ。欧米列強に少なからず脅威を与えた 唯一の非キリスト教&非白人国:日本。それは、ヤルタでソ連、ポツダムで中国を経て、冷戦に突入する この経過に於いて、確実に手中に収めておかなければならないアメリカの布石に他ならなかったと思うんですね。中国の西側警戒への矛先を、アメリカ本土からアメリカの占領地:日本へ逸らしたかった意図であり、戦後のアメリカ軍の日本駐留は『占領地』と言う前提を置いた上で、冷戦時の対中策として『日本を真珠湾の位置取りに設定する』…その意図に他ならなかったんだと思います。

ただ、これは戦争です。人の生死が関わってくるのは認めますし、旧日本軍が中国・朝鮮の人達を殺してしまった事実も当然 有ったと思います。だから、中国・朝鮮への侵略戦争だと言う事に私は異を唱えはしません。本当に申し訳ない事をしたんだと思ってます。だからこそ、被災者の方々の怒りが増幅し、ココまで拗れ、表現が誇大化し、怒りも当然倍加していった事も理解しています。ですが、そろそろ本当の歴史を お互いで しっかり検証した方が良いと思いませんか?私も そろそろ『互いの政治が介入しない本当の歴史』と言う確実に近い時系列が知りたいです。上記では南京虐殺の矛盾を問うただけで、自分でも確信には至らず非常に不安です。日本の教科書では、その時代の表現が足りないと言われる事は有りますが、最低限の客観的事実は提供されているはずです。その意味で間違ってはいないはずです。表現の大小は価値観として有りましょうが、それは『間違い』とは言わないですよ。「コレが有った」「アレが有った」とは書いてますが、あくまで歴史ですからそれで良いと思います。ついでに どこぞの国の「嗚呼、素晴らしきかな偉大な将軍様」…みたいな感じで書いたり、美化したりしてはいないはずです。

そして 一方どうでしょう?中国や韓国の人達が言う言葉に まざまざと数字があやふやと言う矛盾が生じたり、主張行程が途切れ途切れだったり、いつのまにか自国の政府の失態までも、何故か日本のせいにしてしまって「何だか分からないけど、日本が悪いんだ」みたいな逆切れを起こしている様に見えますが如何でしょう?同様に、日本は日本で サヨクやウヨみたいな迷惑な馬鹿が多いワケですから、この辺をまず何とかしたいのも事実です。現状の中国も「絶対に間違いを認めない」最悪の政府です。それに抑圧されている事情も十分理解してます。そもそも中国の皆さんには情報が流れていないだけで、圧力を掛けられ相当数泣かされている事実は、何故か日本には届いてしまってます。そんな政府だから、今は無理だと分かってます。日本もサヨウヨのウザい連中がいなくなれば…と思ってます。ですが、いつか きっとお互いの普通の国民同士は分かり合えるとも思っています。その時まで待つしかないんだと、日本政府だってソレを分かっているから、今まで無茶をしてきてたんだ。と言う事を承知してもらいたいと思います。まぁ、あの中共は、自分達が崩壊する時は、核を使うと暗に宣言してますから…それが無い事を祈りつつ、早く崩壊していただく事も祈りつつ…ホント最悪だな、あの政府は;

とまぁ、怒り津々で書きなぐってしまいました。気分が悪くなった方もいたと思うのが非常に申し訳ないんですが…何より日本人が一番怒り心頭なのは、本当は分かり合えるはずの中国の人達ぢゃなくて、現状の洗脳・抑圧政府:中国共産党です。何よりも辛いのは、中国共産党の様なクソに日本が暴言される事では無く、操作・抑圧をされてしまっている中国の皆さんと分かり合えない事です。私としては、これからも「中国」と名指しで文句を言う事が有ると思いますが、あくまでソッチに対してでしかない事を御了承頂きたく<(_ _)>

【社説】周辺国を不安にさせる日本の‘普通の国’改憲

憲法なんて解釈如何ですから、改憲する必要は無いとも思うんですけどね。仮に改憲しても、決して戦争を肯定してはイケない&侵略行為は許されないと言うのが、まずは大前提です。その上で、第9条の2項削除の意図は、あくまで日本の防衛自立と国際協調に於ける柵を外すと言う意図によるものだと言う事です。日本が平和でいられる最大の理由は、世界情勢的に見れば「日本に米軍が駐屯」しているからに他なりません。万が一 他国が、日本駐屯の米軍に傷一つでも負わせた時にゃ、日米同盟を口実に、アメリカが本気になると言う事です。日本の資本力を最大限に利用し、アメリカを先頭に軍事先進国が挙って相手国を潰しに掛かると言う事です。湾岸戦争もそーでしたし、この前のアフガン・イラク戦争でもソレがハッキリしたはずです。つまり虎の威を借る狐が「平和♪平和♪」とノン気にしている立場が「日本」と言う特殊な国です。仮に日本が攻撃されて欧米諸国が大挙して来て戦争になったら、戦争を止める様な発言など一切出来ず、当事国であり 目の前で起きている戦争なのに、ヘラヘラ笑いながらアメリカ他に頭を下げて「ありがとう」を言わなきゃならないんです。戦争反対を訴えてる国として、こんな情けない破廉恥な屈辱は無いと思います。先年のイラク戦争に対し、日本が賛成の立場を取らなければならなかった最大の原因は「アメリカに守られている日本の立場」であり、それがあの戦争を容認せざるを得なかった屈辱です。現状で日米英の軍事・資本・情報力が集まれば、潰せない国など間違いなく有りませんから、もし、あの時点で「日本の防衛自立」が確立されていたら、日本が反対を提示していたら…アメリカの世論でさえ あの時点でも割れていたワケで、その上 日本の協力が無いのなら…と言う不安に繋がり、歴史は変わっていたのかもしれません。アフガンやイラクの国民を犠牲にする様な戦争は起きなかったかも知れません。

内弁慶や狭い視野でモノを見るから、「イラク戦争反対」と「第9条改憲反対」と言う、実は相反するモノを同時に主張すると言う子供のダダコネみたいなバカが、プロ市民やら市民団体なる形でバカ同士 徒党を組んでイカれた抗議運動をするんです。改憲自体が云々ではなく、日本を守るだけの軍事力を日本自身が持つ事で、世界に対し 本当の意味で「戦争放棄」「戦争反対」を訴える事が出来ると思います。軍事力を明示できない日本の現時点で「戦争反対」「改憲反対」の抗議運動をして騒ぐ連中と言うのは、逆を言えば「『戦力禁止』の文言を削除すれば、戦争が出来る…いや、する」と思っている戦争肯定論者に他ならないと言う事を自覚していないだけで、ただの短絡思考でなければ、実は日本を戦争へ導く一番危険な意識を持っている部類の連中だと言う事です。また、力を見せないと調子に乗る周辺のバカ国家もいくつかあります。そんな彼の国々との和解は、実は力的に五分五分にしないと、自分達の尊大で横暴な閉鎖思考から目が覚めない…そんな連中です。そして、そんな連中の世界の恥的なワガママを、近隣にいながら容易に許し、更に増長させてしまったのは、ヤツラのアメによって砂糖漬けされた連中が蔓延る日本政治の責任です。そして、そんな国々が近隣に有るのに軍事力を持ってはイケない日本だから、アメリカに守られている日本だから、アメリカに対して反対意見など言えるわけも無く、イラク戦争さえ拒否できなかったんです。戦争反対を訴えているのに、戦争に加担せざるを得ない状況。ハッキリ言って異常です。軍事力は、行使する国民の意思の問題です。少なくとも政治的に、近隣のチンピラを相手にしなければならない状況なのだから、こっちはボクシング選手でなければならないんです。ケンカはしない…「ボクシング選手だ」と言う圧倒で十分です。相手はチンピラのガキですから…今のままではオヤジ狩りに狙われてるオッサンと一緒です。日本が持たなければならないのは、戦争に使うのではなく、その為の軍事力です。

現在でも日本近隣では、朝鮮の核問題、中国核ミサイルの日本&台湾照準…撃たれたらオシマイで良い訳は有りません。現在はアメリカに守られてますが、ソレは主権国家とは言えないと思います。日本の国民は、日本が守らなければならない。更に、戦争を否定する為には 日本だけじゃなく他国民をも守る…それだけの情報力と軍事力が必要です。それが無ければ、それを認識できなければ、戦争反対を主張するのは、いつまで経ってもカラスの鳴き声と一緒ですし、イラク戦争を拒否・反対する事が出来なかった屈辱の二の舞です。軍事力だからと言って、即 戦争をする為のモノと言う発想はガキの戯言です。戦争は1国1グループだけでは出来ないモノ。戦争で喜ぶのは勝った国の権力者だけであり、泣きを見るのは いつも、双方の国の国民です。本当に戦争の無い平和を築くのに少しでも貢献したいのであれば、日本は「戦争をしない」だけではなく「戦争をさせない」国にならなければならないと思います。ですから、日本が世界に対し、正しい主張をする為には、それなりの力が必要だと言う事です。

有識者会議での識者発言

ちぅわけで、こんな会議をしていたみたいで。4人の有識者さんが見解を述べていらっしゃるのが上記リンクです。これからダラダラと私が言う事は、『問題は天皇家の持つ伝統であり、それが天皇の意義そのものである』と言う事を優先させた考え方で行きます。えと…ちょっと強引な論で展開しますんで、嫌いな方は読まないで下さいね。

まずは4人の有識者の先生方のダメ出しから行きたいと思います。まず、先頭の先生…この発言ですと、「男系継承」と「男子継承」の意味の違いさえ理解していない様に思われます。古来から女性天皇は存在しており、「男子継承」は伝統では無いと言う事です。女帝の容認を未だ論じている時点で一歩ズレています。要は 愛子内親王が即位しようがしまいが、付け加えれば秋篠宮が即位しようが、秋篠宮の二人の子が即位しようが、清子内親王が即位しようが、「男系継承と言う伝統」には何の問題もありません。問題は「その次」であり、この時点は根本的な議論を必要としない部分なんですね。「男子」なる法律解釈など所詮は明治以降と言うごく最近の男尊女卑認識であり、且つ当時は男子継承がいなくなる可能性を考えていなかった訳で、時代の様相のみの判断的なモノであり、また法改正なんて頻繁に行われている事実があると言うのに、何故わざわざこんな会議をしなければならないのか。極論を言えば「人がいなければ殺人は起こらず、刑法の必要性が無い」事になってしまいます。まーこれだと「国家が無い」と言う事になりますけど;要は有り得ないと思われた法規上不測の事態が起きたという事で、「男子」を切り替える云々は然程の問題ぢゃないと言う事です。それこそタダの法改正なら政治家や宮内庁が淡々と進めれば良いんです。御自分が考えなければならない事が全然分かっていないと言う、あまりに焦点がナンセンスです。確かにタイトルは「皇室典範に関する有識者会議」ですが、要は 愛子内親王が男子であればor他の皇族が男系であれば…つまりどこかで男系が継承されていれば、こんな議論や会議には恐らくならなかった訳で、これは あくまで表向きのタイトルでしかなく、「そもそも何が問題なのか」を考えるべきであり、会議の核心は『伝統』を維持し、後の世に根拠の歪が起こらない結論が出せれば良い訳であり、議論しなければならないバックボーンを正確に理解していない様に思われます。単なる法律の良し悪しを言うだけなら子供にでも出来る事であり、面倒でしょうが 表面上の云々ではなく、焦点を絞り 根拠のある自論を構築してから会見すべきだと思います。

では、2番目の先生…「国民に広く支持されているかどうかが基本」。はて…家系の継承に何故国民の総意が必要なんでしょう?「国民の総意に基づく」を拡大解釈している程度なら、天皇なんて誰でも良い事になると思いますが。昔から伝統家系の関連は一般にも、千家であったり、池坊であったり、本願寺なんかもそうですし、歌舞伎など古典芸能でも ふんだんに有ります。ですが、それを他者が意見する事は有っても最終的に決めるのは各家の持つ不文律なる規則です。では、天皇家はと言うと不文律どころか明文化されてますね。あの「皇室典範」です。で、現状の皇室典範ちぅモノは有る程度は現状に制約されながらも、古来からの伝統を引き継いでいるモノに関しては残しているんですね。天皇家が持つ古来からの伝統…すなわち、形を変えながらもですが「国家首長の任命権」がまず一つ、もう一つが結果的に生じた「男系継承」です。「男子」の部分は、所詮 明治時代からの付け足しに過ぎないんですけどね。この2つが守られれば伝統保持としては良い訳ですが、それ以外の状態で「国民の総意」云々なんて、論じるに足りなすぎます。「歴史上、各時代で皇位継承も手直しされ現在まで続いている」…手直しされてますが、男系で継承されてきていますし、「なぜ男系男子、男子優先にこだわるか分からない」分からないなら、こんな会議の存在が税金の無駄ですし…男子に拘る必要は所詮 典範制定時のみの時代解釈であり、元々伝統上も問題無いと思いますけど…特筆して言うほどの事ぢゃ無いと思います。自分が何故その場にいるのか理解していないと言う、会議にイラない人間の典型例だと御自分で認めている御様子です。

そして、3番目の先生…「戦後民間人となった旧皇族の皇籍復帰や養子を認めることを提示する」。以前の私は、現状ではコレぐらいしか逃げ道が無かろうと思っていたんですが…まず、戦後以降の宮家は既に男系が断絶しています。では、戦前や戦後民間人となった「宮家」と言うのは、天皇家と どれだけ近親なんでしょうか?最後に宮家を排出した天皇は現天皇の5代前:ひいひいじいちゃんの「仁孝天皇」であり、それこそこの天皇の娘が江戸幕府将軍の徳川家茂と結婚した和宮ちぅ公武合体運動とやらの時代で、歴史でなんとなく知っている状態ですね。一応5親等なわけで ここから宮家が排出されたのが最後ですが、ここも既に男系は途切れています。まー仮に男系が続いていても当然ソコから下る事になるんですから、10親等は余裕で超えそうですけど。更に一応、おそらく残っていそうな男系の宮家は伏見宮から分かれた宮家ちぅ事になります。ちなみに、ここから天皇家の本流に一番接近した最後は現天皇の母:故 久邇宮良子皇太后です。で、この伏見宮家が天皇家の本流から分岐したのは「崇光 北朝天皇」ちぅわけで南北朝時代。つまり、600年以上前に分かれた家系と言う事です。果たしてそれを天皇家の近親と認めるか?皇族と言う範疇なのか?ちぅ問題ですね。これでしたらよっぽど江戸時代に天皇から養子に出された「近衛家」「鷹司家」の方が近親と言う説得力は少なからずありますし、「歴史の有る家系と言う事で…」とイイ加減な説得力を付けるのなら、近世まで摂政関白をやっていた五摂家の方が、よっぽど説得力があります藤原氏だって1,200年以上の間、天皇家に献身してきた一族なんですから、宮家の創設より数段伝統が有ると言う事です。「宮家からの養子論」ちぅのは、説得力が有りそうで、実は あまりに投げ出しな暴論なんですね。「有識者会議委員の責任は極めて重く、慎重を期してほしい」…御自分の肝に命じて頂きたいと思います。

そして最後の先生…前半は納得ですし、一般的です。ですが途中から…「男女にこだわらず天皇直系の「女系」を認め、継承順位を長系(第一子)とすれば、安定的で分かりやすい」。この度の皇室継承議論で、一番の急所となる問題は「伝統」ちぅ事です。天皇継承の長子直系は明治以降からの話であり、大して根拠は薄いです。「世論の支持も比較的あるだろう」。先程も申した通り世論は関係有りません。「世襲の範囲は単なる血のつながりによる皇位継承だ」。これも悪意に取れば、天皇継承は皇族でなくとも誰でも良い事になります。家系の理論で行けば、一世代上がる毎に『先祖』は倍化し、現平成時代より前の出生率が2倍を切らない時代では倍化した先祖の数よりも多く『子孫』が存在する計算になります。つまり何でもアリなら、日本人の誰でも良いと言う事になってしまう訳で、それなら「選挙で決めますか?」ちぅ話です。この方も御自分が会議にイラない方だと自覚されている模様です。

こー4人の有識者の先生方を否定してみたわけですが、方々が「面倒だな、こんなこと。」と暗に読み取れる事は、一致した意見の御様子で、その気持ちは もっともな意見だと思います。体面の為に参加したはイイけれど、いざ参加して後悔したと…ヤル気の無さが十二分に伝わりました。そもそも、所詮 数人の成り上がり学者風情に こんな討論は荷が重過ぎます。「無いモノを説得力を付けて有る様にしろ」と言っているんですから、確かに こんなバカバカしい会議は有りません。心中、お察し申し上げます。

ではそろそろ…私の強引論をしてみたいと思います。先程の最後の先生の「憲法改正の必要はない」コレを認める基軸として展開します。ただし、非常に日本人的倫理観に反している事は承知の上で書いてますから、気分が悪くなる方もいると思いますので、嫌な方は読まないで下さいね。

ではまず、この議論をする際、根本的に何か抜けている言う事です。要は「天皇家」の置かれている立場です。天皇家の人間は基本的に日本人としての人格を剥奪されている一家だと言う事を何故かしら置き去りにされている気がします。どーにも外国の王族に似せて囃し立てているマスゴミが世論に対し悪い風潮を作っているせいなんでしょうね。でも天皇の立場と言う本質をもう一度考えて欲しいと思います。日本人としての人格を剥奪されていると言う事は、日本の一般法規には抵触しない訳であり、皇室典範で定められた以外の事は、人間として認められていないのが「天皇家」の立場です。これがどーにも分かっていない様な気がします。これが理解出来ていないから、「男女平等思想の女性天皇支持」やら、「后妃の身体が病弱な為、今後 皇族が男子を出生する可能性はゼロ」やら、そーゆー風に現代の常識でしか物事を考えなくなっちゃうんだと思います。

では、この男女平等思想や一夫一妻制は皇族に必要なのか、また、この制度は天皇家に於いて、いつからそーなったのか?と言う点を問うてみたい所です。これは単に最近の話であり、それこそ天皇家でも今上天皇の祖父:大正天皇からの話ですし、その大正天皇は父:明治天皇の妾の子です。天皇家に限った話をすれば、本当に極最近だと考えて良いと思います。一夫一妻制と言う制度は男女間の倫理観に於いて、有る種 正論なシステムですが、生物学的な種の保存としてはハッキリ言って誤りであり、倫理観を維持しながら 限定された一家系の種の保存も確実に維持すると言うのは、人間の理想論による傲慢に過ぎないと言うことです。倫理感とは あくまで大脳新皮質のみの感性であり、生物が存在する為の本能とは相反するモノだと言う事は容易に理解できる事です。要は、社会性に反し傲慢なはずの本能行動に対して、更に傲慢な思考を理性的であるはずの大脳新皮質が犯していると言う事であり、ましてや 他の動物と違い、産む個体数が非常に限られている人間の場合は、それが尚更の事です。子孫の男女は余計な事を考慮しなければ5分5分の確率であり、一家系にその確率を100%ごと毎世代強要する事など不可能に近い事です。天皇家の歴史2000年を考えても、一夫一妻で継承できた、且つ のっけから一妻決定の状態で継承出来た時代なんてのは ほとんどなく、それが辛うじて成功したのは大正から現皇太子までの4代であり、むしろ4代続けられただけでも大したモンな話です。先程ので仮に確率的に行けば、単純に4世代続けて男系が続く確率は12.5%しかないわけで、現状の愛子内親王の世代時点で6.25%しか無かった。そもそも天皇家の歴史に於いて現在の一夫一妻制の方が非常に稀で特異な時代であり、つまり天皇家の伝統に於いて一夫一妻制での男系継承の強要は無茶この上ないと言う事なんですね。ですから、先程の確率論で行くなら、1人の后で50%ですから、少なくとも2人いれば合わせ技で計算上は100%の確率を維持出来る事になります。要は、多ければ多いほどその確率は上がる訳で、現皇室典範をパーフェクトに行く方法の一つはコレが条件だと思います。そもそも、人間規定されていない天皇家が通常の日本人の一夫一妻制を強要される理由は無いんです。法律が適用されませんから。伝統を重んじて「男系継承」云々と議論するなら、ここから間違っていると思います。既に現状の雅子皇太子妃の体調では次子は難しいですし、庶子としての秋篠宮でも無理が有ると思いますから、まずは一夫一妻制を天皇家にも何故か強いてしまっている…これが問題ですね。

もう一つ「直系の男系」であれば何でも良いと言うのであれば、宮家養子云々なんて説得力が無い事はしないで「体外受精&体外妊娠」の手は使えないんですか?ちぅ所です。改めて言います一般の法律が適用されませんから。人に及ぶ範囲ではないと、人間として認めていないと、日本の法の効力における人的範囲は規定している訳です。要は天皇家に必要なのは『伝統』と『任命権』であり『日本国の象徴と言う存在』でしか無いんぢゃないんですか?ちぅ事です。法律が定めている天皇の地位とは、そーゆーモノです。

上記の「一夫多妻」と「体外受精&体外妊娠」…日本人的な感覚として この二案は非常に道義観・倫理観を愚弄しているし、ソレが 現在の日本人感覚では あまりに突飛な方法だと取られても仕方が無いです。書きながら私も気分が悪くなりましたからね。ですが『天皇の人格無視』と言葉では簡単に言いますが、人格を本当に無視すると言う事は、こーゆー事です。それに、倫理観を持った上で、無い事を有る様にして無責任に議論するより、気分が悪くても 何とか存在するモノにする、コッチの思考の方が建設的だと思います。象徴天皇の存在意義とは「伝統」であり、伝統を守るとは そーゆー事であり、その場限りの聖者感覚は、崖っぷちでは無用の長物です。むしろ 難解な議論をしているのに気分が悪くならない結論なんて無いのが普通です。そもそも一般大衆が天皇家に、親近感を持たせる様な感覚を先導するマスゴミが悪いとは思いますけどね。マスゴミに踊らされ「時代に合わせた天皇継承法」を正論として女系天皇を容認すると言う発想であるなら、「体外受精&体外妊娠」は「時代を駆使した天皇継承法」です。実は どちらも言っている事は、同程度な選択である事には変わり無いんですね。言い換えれば、女系の様なパズルの穴埋め論で始終してしまう様な話なら有識もクソも有りませんし、そもそも女系程度のパズル穴埋めであっても良いのなら、養子論辺りとレベルの低さは一緒と言う 天皇が象徴に足る説得力が無い上、更に別腹男子出産と 言っている事の酷さは変わらないと言うことです。

『天皇』は 国内に於いて、海外の『国家の王・女王』とは全く違う立場である事を、一般大衆レベルでは認識した方がイイと思います。一般の日本人は、あくまで『日本人』であり、『天皇の地位』は日本の帝政時代にも存在していた…この解釈として置かれているからこそ、あの『皇室典範』は存在している訳であり、現在までの流れとして天皇家には『人格』が存在しない…これが『天皇家』が持つと言う歴史責任であり『天皇家』たる存在自体 だそーですから、この辺を どー解釈・位置付けるかで上記の私の様な極端な方法論は正解であり間違いでありと言う事になります。ただワケも分からず安易に「女性の時代だから女帝だ」だとか「天皇制を廃止すりゃイイ」とか、サヨか赤かチュンチョンの様な脳炎ども相手の話はコリゴリですし、「伝統」への一貫を満たす指向性に対し アホな議論をしても意味が無い事は重々理解した方が良いと思います。現行に於いても天皇の地位は象徴であり、象徴としての意義、それを統一するに足る原則は、あくまでも「伝統性」に他ならないと思います。それに戦争云々とか法律云々は、何言っても水掛け論ですから、結論だけ言えば、現状の天皇の存在意義である『伝統性』が、安易な時代の流れだけで消滅してしまうのが情けない…それだけです。

女性天皇など多数意見明示、最終報告で衆院憲法調査会

ちぅワケで、朝日の回し者だらけなのか?と言わんばかりの短絡思考が多い様です。現実問題として仕方が無い部分もありますし、別に反対と言う話ぢゃ無いですよ。まー方法論や事実的な事は 勝手に言えるとしても、正否を問える領域ぢゃありませんし、そもそも これに賛成・反対を言う能力なんて無いし、結論は最初から出てるんですから 伝統の兼ね合いとしても「愛子内親王の女性天皇」自体には全然問題は無いですし、皇室典範の「男系男子」を「男系」に修正すれば済む話です。ただ、問題があるとすれば、世界でも類を見ない1500年以上に渡る「皇室男系継承」と言う歴史が、このままだと 愛子内親王の次の皇位継承時で「皇室女系継承」になリ、稀少な歴史事実が途切れてしまうと言う現実が有り、それを男女平等やら女性天皇の前例やらと言う、その場限りな思い付きの短絡思考で、頭の軽い連中の世論調査に流されてしまいそうだと言う情けない現状です。

深入りしたくないので 仮に算数の如く、歴史の長さを基準とすれば、男女差別問題が頻繁に出てきたのは ここ数10年。皇室の伝統とは比較になりませんし、女性天皇の前例は確かに有りますが、あくまで 1500年以上前:飛鳥時代の第26代継体天皇から現在の第125代今上天皇まで、日本の天皇は 全て「男系継承」です。この継体天皇は第15代応神天皇の玄孫と言う主張ですから、それを全うに受け取れば 初代神武天皇より2000年以上 この伝統を守って来た事になります。女性天皇が立てられた場合は、男系皇統の裏付けが無い限り そこで途切れ、別の傍系皇統に移ります。つまり 女系のみでの嫡子継承は、少なくとも1500年以上 一切無いんですね。これが現実的に問題になるのは明らかに 大正天皇以降からのもので、男女平等を意図とし 一夫一妻制を皇室にも適用した事が大きいです。それ以前との歴然とした違いは男子が生まれない確率が多くなると言う…その場の限りで表層的で軽薄な男女平等視観とやらを無視すれば ハッキリ言って、これが大きな差であり 弊害です。コレについては感覚的にも非常に面倒な部分なんですが、常識の位置取りが単純な「女性の権利云々」やら「男女平等論」やらと言う方々には、コレを言う事 自体が 以ての外なんでしょうけどね。まーその感覚が きっと、単純に愛子内親王の女帝を容認する理由の一つなんでしょうけど、ホントに安易な感覚ですし、男女平等の意味を履き違えてますね。天皇家 家系図

先程も言いましたが、この様な 一定の地位をコレだけ長期間 保ってきた男系継承は、世界でも類を見ない事実なんです。その稀少と歴史の重みを全く考えていないで賛成&反対するのは、ちょっと軽すぎやしないか?とは思います。それと、この議題を 政治・社会的に随分大層なモノと考えてる方が多いのも問題です。皇室をミーハー化しているマスゴミが元凶の一つですけど、ノセられる大衆側にも やはり問題は有ります。正論を言えば これは、政教分離の判断以前に、現在の皇室は あくまで「国家の象徴」に過ぎず、法的に皇室の方々は、通常の国民とは別の、皇室典範のみでの人権保護であり、日本国民でいながら日本国民としての人間扱いが認められていないんですね。短絡的に ミソもクソも一緒にした様な男女平等を、安易にホザく程度の低さよりは、まずこっちを認識するべきです。つまり結論として皇室は、どー扱われようが どんな思考薄弱な国民に命令されようが、結局は まな板の上の鯉ですから、なるようにしかならないモノです。それに事実が結論を物語ってますから、現状では賛成も反対も元々無いんです。結局問題なのは「薄弱な知覚のみで賛成反対を吠える世論」と言う、非常に情けない部分なだけです。

それを踏まえた上で、仮の話として歴史の重みと言う存在を基準にした場合で、皇室価値を あくまで考えるのであれば この議論は、皇室自体を 稀少な文化財とか天然記念物と同様に考える方が近しいと思います。まー「モノ」と言う発想ではなく「人間国宝」みたいな。日本で一番有名な人間国宝…それが皇室だと言う方向性だったら如何でしょう?それなら 「人間国宝:男系継承の皇室」を確保する方法は、他にも何か有りそうなもんですよ。先に書いた第26代継体天皇は天皇傍系の玄孫であり、天皇直系を皇后として自らの天皇系を主張したワケですし、南北朝時代にもそんな事例が有ったはずです。近年では 江戸時代の第116代東山天皇傍系の曾孫が第119代光格天皇として即位し 現在の天皇家に至っている事例もあります。結論は、旧宮家の復活であり、政略結婚ならぬ教略結婚みたいな形ですかね。1500年以上続いた男系継承が女系継承となり歴史的事実を途切れさせるくらいなら、皇室を政治的にでは無く「本当の意味での皇室の存在=人権無視な国の象徴」と認識するのなら、そっちの方が「人間国宝」としての有り方の方法論の一つだと思います。何度も建て直している法隆寺みたいな…直接「モノ」的な発想は良くないですけどね。他にも何か方法が有りそうです。とにかく、現在の皇室の立場は、あくまで実権を持たない形式的な存在であり、だからこそ 社会性を与する様な 社会に影響を与える様な 実態的な意義ではなく、形式的な意義として保持する方が優先事項なんだと思います。

皇室典範のみの話で行けば、とにかく先頭の第1条がマズいのと 第12条が問題ですが、12条に関しては第13条で辛うじて保護出来ると思います。先程提案したのは 第2条第2項規定になりますが、これも実は第6条規定違反となりますから いずれにせよ逃げ道は無い訳で、実情として「男子」の部分は皇室典範を変えなきゃイケないでしょうから 政治家が関与するのは致し方無いですが、皇室典範の存在さえ知らない様な連中が、図々しくも知ったかぶりして皇位継承問題の正否を語る…それが不思議でならないです。皇室は第二次大戦後 その主権を無くしています。主権を無くしたモノの後先など、本来はマニアックな話であり、典範云々やら皇室事情などは、法律学者や政治学者や歴史学者辺りが ウンチクやればイイ事であって、一般人のアンケート調査なんて、マスゴミのバカな発想が異常だと思います。ですが だからこそ、皇室の人権無視を一番理解しているのは、マスゴミだとも言えるんですけどね。

「北経済制裁発動を」 自民対策本部決議

まずは 私、基本的に 朝鮮に同情の余地は無いと思っていますし、生理的にも、嘘で塗り固めた上で 日本を悪人扱いして 自国民のコントロールに活用したり、日本への恐喝を平然と行う エゲツない南北朝鮮&中国のヤクザ三羽ガラスは、そもそも大嫌いです。それを明言した上で 書きますね。

とにかく今回の一連の話。私の持ってる朝鮮の認識って非常に貧弱なのは言うまでもないですけど、一つ印象として強いのは、彼の国は、所謂 大日本帝国から独立した際、他国との接触を絶ち、要は あの帝国の意図を そのまま引継ぎ、未だそれを政権として維持させていると言う印象であり、本当に切羽詰ったら何をやりだすか分かったもんじゃないと言う予想。こんな事は小学生でも理解が出来る危険極まりない国と言う感覚です。ですから、拉致被害者家族の気持ちは分かりますけど、単純な話、それで戦争状態に入ったらどーするつもりなんだろか?ついでに、戦争状態だから自衛隊をイラク派遣するなと騒いでいた連中は何処へ消えたんだ?イラクへの支援は反対しておいて、朝鮮との戦争には賛成なのか?所詮、国家批判を脊髄反射でしか出来ない「左翼」か;それにしても、マスコミ主導の この世論は、ちょっと 流されすぎだと思いませんか?どーにも「日本を愚弄している朝鮮」をイメージしてる様ですが、これは そもそも日本側の言い掛かりに近い気がします。朝鮮の餓死者は年間200万人とも言われている訳で、要は 自国民の死者の事でさえ その概要を朝鮮政府は把握出来ていないと言う話なんじゃないんだろーか?日本の様な1億人を全て把握している半背番号制国家とは違う訳だし、むしろ 把握出来てない国の方が 世界の大半であると言う事を理解しているんだろうか?拉致被害者の家族は、自分達の家族が 殺された恨みを持っているからこそ、先の遺骨が送られてきた時点でさえ、既に「経済制裁」などと 自分達の鬱憤晴らしを訴えていたし、その遺骨のDNA鑑定の結果、それ見たことかと 鬼の首を取った様に「経済制裁」を 更に強調する。家族を殺された気持ちは、私も理解できますよ。でも その為に 交戦状態に入ったら…その上、丼モノを一発でも都市部に命中されたら…何万人と言う人達が当然死ぬ事になる。身内を殺された恨みの為に、関係の無い他人が何万人も殺される事になる。その可能性を理解して、報道機関を使い こんな感情任せの発言を世論に煽っているんだろうか?「経済制裁」によって導き出される結果は、日本国民を守ると言う方向性とは相反する方向へ進む事になるんじゃ無いんだろうか?どーにも、現在の日本人は戦争経験が無いもんだから、こーゆー同情感覚に流されやすい傾向にあるけど、それこそ これは かなり「右」に偏り過ぎな急先思考だと思います。大体、日本は その事態に陥った時、全く用意が出来ていないんだよ。戦略シュミレーションなんて まともに出来ない官僚が ピーチクパーチク騒いで指揮を執る状態で、それどころか ミサイルを撃たれても、くだらない お役所の手続きで、反撃するまでに 丸1日掛かっちゃうんだよ。その間にミサイルを撃ち続けられたら、反撃の承認が下りた頃には、何十・何百万人の死傷者が出ちゃってるんだよ。こんな防衛状態もままならないのに、日本に軍隊を持つなと言ってる連中が「撃って来い」と言わんばかりの事をして…どうして、こんなに感情的になれるのか?こんな事を冷静に考えないんだろうか?ものごとの後先を何故考えないんだろうか?そっちの方が不思議で仕方が無いです。国民がいるから国家は成立する訳であり、だからこそ、国民の保護は国家の責務である事は至極承知です。ですが、国家間の関係と個人の干渉は、あくまで別問題じゃ無いんですか?個人の屈辱と国家への侮辱は、同等に捉えて 本当に よろしいのか?

本当に、一度冷静になって考えて欲しいです。わんさかな煽りだらけで、なんやかやと段階的な制裁を踏もうとしているらしいですけど、日本国民を犠牲にする覚悟を持った上の話で、どうせやるのであれば、段階など踏まず 一気に完全経済制裁を行った上で、日本からの要求達成により、条件的な解除段階方式に すればよろしい話であって、段階的に上げていくなど 国会議員如き白雉の発想は、単にサディスト感覚の浅はかさですから そんなウザい変態の奇声は放って置くべきでしょうし…いずれにせよ、コレ自体が そもそも何か間違ってる…そんな気がします。

歴史を知らない

…と言う言葉を、議論する時に しばしば使う方は 確かにいます。私はコレを使われた場合、相手が「まいった」と言う敗北宣言と同意義に受け取って、何食わぬ顔で議論を終結させる方向に持って行く様に仕向けます。と言うのは、歴史を知らないのは みんな同じなんですね。どのレベルまでとか言う些細な事を言い出したらキリがありませんが、仮に全部分かっていれば「君は歴史を知らないから」と言う言葉は決して使えるモノでは無いんですね。歴史の多面性とはそれほど複雑であり、そこから出てくる結論は無数に有ると言う事。逆に歴史を知っていれば、適切な答えが出て来るワケが無いと言うのが本当の所です。つまり、「君は歴史を知らないから云々」と言う論調は、時代劇に ありがちな「お…お…おぼえてろよぉ〜」と言う捨てセリフと、然程変わらないものと言う事になります。ついでに、コチラでも書かれてますが、些細なレベルの加減で「歴史を知ってる」としてしまう行為は、自分の思想に都合良く歴史を搾取&変換させたエゴであり、明らかに片寄ったイデオロギーが自分を取り巻いている証拠です。加えて、ある種 危険なイデオロギーである可能性が高いと言う事は理解すべきだと思いますし、おいそれと使える言葉ではありません。ですから「君は歴史を知らないから〜」と言う言葉を使う方は、そのまま自分の無知に跳ね返って来る可能性が高いし、自分が非常に片寄った思想に陥っている危険性も意識した方が良いと思います。

よく 現在の東アジア関係の議論をしてるのに、方程式の如く 戦争責任の話を持ち出す連中がいますが、アレは既に「犬が肉見てヨダレを垂らす」的な条件反射と思った方が良いと思います。モノを考える力のある人間と言う生物の行為では無いと言う事です。過去事象としての認識は良しとせよ、そればかりを強調してしまうのは、現代社会の東アジアに関する議論としては非常にナンセンスであり、結局 後悔ばかりの先が見えない議論しか展開出来無い事になります。だからと言って、決して戦争時の歴史認識を疎かにせよと言う訳ではなく、それは既に周知の事実であり、とは言え、議論してる本人達には、経験たる実体験が全然無い「歴史」と言う存在であると言う訳で、双方預かり知らない話を前面に押し出して議論をするなと言う事です。簡単な話にしますと…ひいおじいさん・おばあさんの話をされても実感が無いどころか名前さえ知らないのが大半でしょ?普通の会話として、自分達の「現在」の話をしているにも関わらず、ソレを話の中核に置いてしまうのはナンセンスではありませんか?そーゆー事です。

「歴史を知ってるor知らない」等と、個人に都合の良い思想ツールとして悪用する為に、歴史とは存在してるモノでは無いと思います。「後悔先に立たず」と言う言葉がありますが、歴史はソレを立てて警告してくれるものです。過去の歴史を学ぶ必要が何故あるのか?どうにも暗記的なクイズ形式の歴史バカ教育が未だ横行してる昨今ですし、それ故「君は歴史を知らないから〜」等と言う勘違いな言葉も口から出てしまうんでしょうが、本来は 過去の歴史事象一つ一つへの拘りが重要な問題なのではなく、その歴史の流れや体系から学べる何たるかを 次に活かす事が、本当の歴史の重要性であり、歴史の必要性を見出す事が出来るポイントだと思います。

消えた「自己責任」?

結論を先に言えば、あのイラク事件騒動に関して、世論は 一つの大きな生き物であると、まざまざと感じてしまいました。では さておき本題へ…

「自己責任」の言葉。最近、確かに聞かなくなり、それこそ「あの三バカを、攻撃する為の材料」と言われても素通りしてしまう様に感じてしまうかも知れません。本当に、この四字熟語が世論騒動のタイトルの如きとなったのは、後にも先にも あの時期だけ。しかも、何となく意味が分かる様なんだけど、勘違いして捉えていた。現在でも勘違いしてる方々が、どれほど多いか。それは、未だに彼らを弁護する連中が、どれほど多いかで明らかだと思います。ですから、基本中の基本から行きます。

まずは「自己責任」と言う言葉。漢字の並びだけ見ると 大昔から存在した様な気がする言葉ですが、実は広辞苑にさえ有りませんし、本来 こんな四字熟語は存在しません。だから、言葉の意味なんて お手のモノなはずの識者さん達でさえ、意味の取り違えを平気でしてしまい、しかしながら、さも分かったフリをして、ウンチクを語らなければならない。だからこそ、矛盾だらけで直眼視的な擁護答弁になってしまうんですね。確かに意味もそーですが、それ以上に言葉の持つ質が非常に厄介な存在です。

で、コレは何なのか…この「自己責任」と言う言葉は、本来の四字熟語ではなく、明らかに ある例文の略語であり、使え易い為に、しかも四字熟語が持つ なんとなく知的な魅力の感覚が作り出してしまった造語です。もっと簡易な例で、例えば「デパートの地下1階にある食品コーナーやスイーツ食いまくりコーナーが列挙している、昼や帰宅時のOLの溜まり場」と言う長い文章を略化&単語化し「デパチカ」…最初から「デパチカ」では、意味が分かりませんし、「デパートの地下1階」と付け加えてみても、要点は掴めませんよね。つまりデパチカの意味が通る為には、完全にモトの意味を知って無いと全然見当違いな言葉の意味になってしまいます。「自己責任」に関しては、コレにプラス四字熟語の魔力なんですね。日本語って、ホント難しいです。では、「自己責任」。本来はコレ…

『このプールは最大水深2メートルです。監視員等はいませんので、事故等には一切関知出来ません。保護者及び自己の責任の元、御利用ください。』

…辺りで使われ、大体意味的にはコレと一緒なんですね。ココでハッキリさせなきゃイケないのは、プールに入る「自己で責任」ちぅ場合と、プールに入る者を同伴する「自己に責任」の両方の意味が有ると言う事です。で、強調されるべきは 後者…「責任」と名を打ちながら、それを負う対象が自分では無い場合も有りうると言うモノです。一方、「自己責任」と言う言葉を頻繁に使うのは確かにネット上だと思います。本来は上の例文と同義だったはずですが、コレが多少変質してます…

『えへへへ、このサイトは、萌ェ萌ヘの萌えタソが大好きな、萌エロ仲間大集合の萌エログロSM同人系だよ♪18歳未満お断り。同人に気分を害してしまう可哀想な人もお断り。自己責任で入場してねん♪』

…全然意味不明…自分で書いててワケ分からなくなりました。 なんとなく取り消し線入れたくなる位、実際存在したらキモくて気分を害してしまうと思いますが;…例え話ですし、エロ系以外で立入制限するサイトなど基本的にキモぃものですので御勘弁<(_ _)>話を戻し、先程のプールと似ているようで実は違います。今度は、周囲の存在:同伴者の存在が希薄になります。サイトを見る人間の「自己が責任」のみ発生してしまう事になります。プールの話 時点で意味2つとなり、プールとネットでも意味が2つになる。可能性的に意味が3つ有る状態の上で、他者を全く介さない自業自得の意味であり、自己責任としては一番意味合いの薄い「自己が責任」を軸に本来の特徴的意味合い部分である「自己で責任」「自己に責任」の2つが双方向に派生している状態の意味を持つ言葉だと言う事。分かります?時間の流れで話しますと、当初に於いて三人が人質にされた段階…アレに「自己責任」の存在は一番希薄な「自己責任」の意味であり、同時にアレは「自業自得」と言う、違う意味の四字熟語なんですね。つまり元々存在していなかった「自己責任」の言葉が出てくる余地が無い。存在しなかった四字熟語:自己責任が発生する必然性は 先程の話で行くと、プールに入る前に「保護者及び自己の責任」を承諾し無い限り、プールには入れない。そして その後の「自業自得」は、当然ながら起こるワケはない…この時点で、結果である自業自得との区別の明確さが、どーしても必要な場合のみ可能性があると言う事です。このイラク事件の場合、当初では「自己責任」の言葉自体、発生の余地が無い…ちぅより、一般化されるような市民権を持つはずが無いと言う事です。

えと…発生して「消えた自己責任?」が 課題のハズなんで、コレを進めると話が逸れそうですから、言葉の発生問題は 一度置いておいて…「自己責任」に3つの意味が存在する事は、理解出来たと思います。では次に、意味の流れとして進めて行きます。さっきのプールを単純にイラクの話に置き換え、時間の流れで考えるとなると、人質になった以前で 本人達の「一番希薄な自己責任」が起こると言う発想になります。だから「自己責任」が発生した…いや、だからそんな単純な話では無い。と言う事です。そこで、ある可能性が存在するんですね。本来の「自己責任」の意味…つまり、人質となったこの時点でさえ「自己責任」が発生する場合と、それ以前のみ「自己責任」が発生する場合。そして、本人達だけの自己責任と、本人達以外の自己責任との『双方・両方の可能性』が、人質直後から帰国までの間、存在していた言う事なんです。コレは本来であれば、一般の大衆の方 全員が理解・断言できる可能性は非常に薄いんですね。と言うのも、まず本来「自己責任」とは、先程のプールを想像して頂くと分かると思いますが、そもそも赤の他人の脳裏に浮かぶモノではなく、関与した身近な人間の脳裏に浮かぶ罪悪感であると言う事と、今回の3バカと自己責任の兼ね合いは、この双方・両方が時間の流れで変動・変質してしまった話です。ですから 1つに断言が出来ません。が、結論は出せます。それは、あの三バカが性懲りも無く また動き出してくれたおかげで、有る程度までは結論が出せる話となりましたね。そして、結論が出てしまったからこそ世論から、あの四字熟語が消えてしまった…ちぅより、必然的な「消え」によって、また世論は次に爆発する為のエネルギーを溜め込む状態に陥ってしまった。と言うのが現状ですし、そもそも意味も関連性も全く無いのに 小規模で噴出してしまったのが、北朝鮮関係の脱走兵の話なんだと思います。

話を戻し、まず大前提に置かなければならない事、それは『人質になる以前の本人達を、ほとんどの人は知らないでしょ?』っつー事です。それは本人達を、責める・守るちぅチープな領域ではなく、そもそも本人達を知らないでしょ?っつー話です。自己責任とは先程言った通り「保護者及び自己の〜」と言う事が、前提となるはずです。この時点で、本人達はモノを認識できる大人なのか、チョロチョロとウザいガキなのか、と言う 本当に入り口の大前提となる話。大人であれば「保護者の〜」は、いらなくなりますからね。確かに年齢的には、大人の段階です。ですが、そんな事ではなく、『実際の精神年齢』は、如何なものか?と言う前提の話。コレでまず流れを手繰って行きます。

イラクと言う、政府からも渡航制限がなされ、日本内では軍隊的な力を持ち合わせている自衛隊派遣さえも危険の有無が、派遣の可否を大論争にされた地域。その地域へ どんな意図があるにせよ単独で赴く以上、まず 子供であるならば、「ガキの分際で、イラクに行かせる事を承諾した」親及び関係親族等に責任が有ると言う事。明らかに責任問題は、行った本人達ではなく、彼らに有ります。仮に 大人であるならば、親を含めた周囲の連中に渡航前に完全に覚悟させるまで説得する事…コレを怠った3バカ本人達に責任が有ります。それは、自己中心的とは言え 仮にも平和目的を前提とし、それを正論としてかざすのであれば尚更、果たさなければならない義務です。つまり 人質とされた時点では、単純にバカな問題児と言う三バカの自業自得程度の話で済まされた訳ですし、政府は、日本国民を守ると言う観点からソレを助ける努力を「良心」として行う、義務未満必要以上が少なからず存在します。つまり、日本政府としての人道的良心に則って助け出そうとした…と言う話です。

そして、恐らくこの事件で最初に発生した「自己責任」は、後者である「三バカを大人として見た」所から噴出したモノだと思います。ただし、人質にされた「自業自得」の領域では無く、説得によって了承したはずの親族連中の行為…人質にされた事で家族関係者が報道機関等をフル活用し 大々的に政府を相手に恫喝非難した…コレが国民の怒り爆発の原動力となったと思います。この時点での結論は、あの三バカは、大人でありながら周囲への了承させる説得と言う大前提を怠り、単なる直眼視的な思考でイラクへ向かい、人質にされた と言う事ですが、そーでは無いと言う可能性、すなわち「説得したにも関わらず、自分達に当然既存する責任を回避して、政府に押し付けるどころか、強硬な要求を恫喝しだした親族連中」と言うモノ。ですが、この段階では どちらにせよ政府が三バカを助ける義務も、家族に恫喝され、尚且つ派遣されてる自衛隊の撤退を要求させられる謂れも無いと言う事です。コレは政治やら法律やらなんて大それた云々ではなく、親も大人ですが、人質にされた3バカも大人なんだよ…と言う社会人としての基本的な話です。ですからあの「自己責任」と言う言葉は最初、3バカへ直接向けられたのではなく、世論は あの3バカが説得と言う義務を果たした上であるにも関わらず、「渡航段階で彼らを止めなかった政府に責任がある」と、遵守したはずの自分達の納得領域を完全に棚上げし、政府を恫喝していた親族達に向けられていた言葉。ですが、この非常識な恫喝が世論に疑問を生じさせます。「どーにも恫喝の様子が変だ。もしかして、3バカは親族の説得など全くしていなかったのではないか?」実は、親族達は正常であり、この3バカが説得義務を怠惰したと言う事なんじゃないかと。こーなると、人質にされた3バカに責任が付きまといます。つまり世論は、どっちの問題なのか 区別が付かなくなります。が、両方とも「自己責任」と言う言葉が浮かぶ話であり、ココで「自己責任」の混同が始まった訳です。

実は この時点で、あの3バカ事件の「自己責任」を語るには、同じ言葉を使っても存在は二元であり、一つのまとまりとして「自己責任」を語るには、両方とも別次元の議論として平行させた形で論じて行かないと、話が支離滅裂となってしまいます。ですが、コレを要求されてしまったのが「人質事件中の識者」連中であり、要求した報道機関の理論破綻的な混同報道であり、あの事件以降から平和主義を訴える3バカを擁護している連中の思考なりと行ったところの話です。自己責任と言う言葉の意味を微妙に取り違えただけで、意味どころかソレの持つ本義さえ正反対の話になってしまう…いえ、なってしまった異常な例です。

未だ世論は報道に左右され易い。コレは あの3バカ帰国で明らかになったと思います。世論側に結論なり理論整理なりが付いてないうちに、3バカは帰国し、目先の標的が如く叩かれ、本来「自己責任の根本」であった…非難すべき本体であった「政府恫喝の親族組」は雲隠れする始末。まぁ 勢いがあると、あたかも国民の代表の様な図々しいツラをして見当違いの正論をかざし、政府を叩く事に快感を持つクセして、都合が悪くなると途端に、何事も無かったかの様に隠れ 知らん振りするのが「左翼」の典型ですから、今に始まった事じゃないですけどね。さておき、世論側はあの恫喝のせいでコブシを振り上げてしまった…けど振り降ろす段階で、殴るべき対象の片翼が、雲隠れして消えてしまった。だからこそ、もう片翼…3バカ叩きに入った訳です。

そして、叩いた。ですが、叩いたはイイモノの、叩く事で3バカの実像が見えてきた。「ボク達は、何か悪い事をしたの?」「私達はイラクの人達を嫌いになれない」「世論が怖いので病気になります」…全然何も分かっていない…子供ですか?もしかして;

コレです。結局、世論からイラク人質関連での「自己責任」の言葉が消えてしまった理由はコレなんです。この3バカは明らかに年齢だけ大人なガキであり、実は「自己責任」を果たすべくは、泣きながら国民の同情を煽ろうとし、政府に この際、何でもブチまけやれな限りに恫喝要求した、この3バカどもの親族連中なんですね。結局、そいつら全員雲隠れしてしまった…本来、こんな異常に強堅な事を 権利として主張したのであれば、それに値する義務と責任は伴わなければならないはずなんです。ですが、彼らは釈明義務を放棄し、雲隠れしてしまった。コレでは上げたコブシは振り降ろせない。ましてや、3バカのガキどもには当然の事。まぁ…「ひだり」には、ありがちな話ですけどね。

未だに、「イラクの人を嫌いになれない」の脳天気女の言葉に「まだ、そんな事を言ってるのか」と言う小泉首相の言葉をかぶせ非難の一つにしている輩が存在しますが、仮にあの2つが同一の流れの問答だとしても、アレの意図を理解出来ないのは、一般社会に籍を置くには常識が欠如してますし 資格さえありません。そもそも、あの2つの言動の本意は連動していません。そんな事は、普通 理解できるはずです。

決して識者が勘違いしている「自己責任」の存在は大衆の中で延々と燻っています。そして、現時点で3バカを語る時に「自己責任」の言葉を出してしまう識者や報道関係が仮にいるとすれば、明らかに言葉の意味を全く理解していないと言う事になります。ついでに 3バカ擁護も二分していると思います。同類である「ひだり系」のバカ者であるか、物事を考える能力が無い もしくは放棄した脳内花畑な良識理想論者であるかのどちらかです。

「自己責任」…コレは 決して3バカを叩く為のモノでも何でも無く、今までこの言葉が無かっただけの話です。実際の状況的には、かなり存在していたと思います。必要に応じた流れで言葉は作られる と言う典型的な話です。そして、今回の事に関しては、余儀なく 大衆の本流から闇へ言葉が消えてしまったかの様に見えてる真相だと思います。この状況は今までも出てきてたし、これからも頻繁に出てくると思います。ですが、今回の様に同じ言葉で意味が変質したり議論が分散してしまう…間違った解釈、間違った使い方が安易に出て来るような言葉では、言葉の意味を果たしてません。現時点でこの言葉は、新語であり、造語であり、攻撃的単語である以上、当然 私を含め みなさんの間でも 抱いた「自己責任」のイメージをハッキリ限定させながら、自分にとっての「自己責任」のビジョンを各々が持つべきだし、使い方に注意する必要がある言葉だと思います。

…え…と…時間です;;もう一つの方は、機会が有れば、いや 忘れてなければ折を見て…勘弁してください(つД`)御静聴、ありがとやんした<(_ _)>

今日になって、やえさん復活した模様で、あの「脱走兵の『自己責任』」に触れていますので、追記しますが…あれは、やえさんも仰ってる通り『自己責任』ではありません。ただ、「大目に見る」との意見には同意しかねます。日本人の妻を持っていると言う現実と平行して、アメリカ国民としての背景が必要だと思います。以前の『読み物』でも書いたと思いますが、あくまで「自分が、自国ではない日本に来る事で、可能性のある外交上の問題を本人が本当に理解してるか」どーかの問題であり、これは『恩を仇で返す』可能性が有るから、自己進退をどーするべきかと言う、本人の意識であり、良心が存在するかどーかの問題です。「自己責任」どころか、「義務」でもありません。ただ、それを夫に諭してやれない…ココまで日本政府に散々迷惑掛けて置いて、日本政府の献身にも関わらず 都合の悪い事は曖昧にさせたがる事分とは、日本人の一人としては恥ずべき態度だと思います。それだけの話です。この辺は、先程言った、『自己責任』のイメージをハッキリすべき事の一例だと思います。

便所の落書きと出国禁止(上)便所の落書きと出国禁止(下) 政府世論誘導?

◆経済雑談

こんな話しますが、別に経済の知識など微塵も無い事は承知の上で、のたまいます。駄文ですから、ゆるしてねん♪

バブル経済崩壊から10年以上が経過しました。そもそもバブル景気と言いますが、始まったのは恐らく昭和60年頃の「プラザ合意」だったと思います。ドル高で輸出の伸び悩みに困ったアメリカが、当時の経済先進4ヶ国蔵相を集めて、各通貨(英ドル・フラン・マルク・円)を米ドルに対して切り上げろ!と、暴言を吐いたのがきっかけ。結果、1ドル250円が120円まで円高を起こす事になりました。

元々資源の乏しい日本は、外国から輸入した材料を加工し、海外に売ると言う加工貿易経済で成り立っている国です。材料時点を安く輸入すれば、加工した製品を輸出販売すると為替の差益も伴って、膨大な外貨を得られると言った仕組み。単純な話、世界基準では本来300円の物であるが日本は海外に100円で輸出し250円で売る。150円の儲けとなる訳です。それだけでも海外市場では安いと評判になる。質の向上も加工経済日本が御得意とする分野。安く質が良いとあっては、たちまち海外経済事情は日本製品一辺倒となる訳ですね。これが輸入材料の柱:原油が高騰する1974年のオイルショック以前に高度経済成長を遂げた日本の方程式。その後高騰しても、品質の高さと設備コスト削減を武器に一応成長は続きます。ですがこの「プラザ合意」により、日本は劣勢と化します。だって倍に円高されたら、高い材料と相まり、且つ利益を維持しようとすると、日本で200円が海外で350円と言う事になっちゃいますからね。こーなると日本経済の根幹である輸出・製造業が崩壊してしまうわけです。で、実際はどーだったかと言うと、確かにこの2業種の落ち込みは激しく崩壊した今でも尚、自動車メーカーのトヨタ以外は元気が無いのが実情です。て事で、仕方が無いから他に目を付けたんです。

「内需拡大」…この言葉が頻繁に出だすようになったのもこの頃だと思います。海外に売れないなら、国内で金を回そう…この発想です。当時でコレは正解だったと思います。元々日本とアメリカの経済は通貨だけで見ると戦後1ドル360円と言う格差が有りました。で、「プラザ合意」当時で120円まで上がった。つまり3倍になったと受け取れますし、ついでに対ドルですから、経済超大国アメリカを基本軸に計算すると、経済人口は対米国の1/2。これを掛け合わせるとアメリカの6倍。色々他にも計算方法が有り、10倍とも120倍ともとれる計算も出て来るでしょうが、そこまでの極論に走りたくは有りません。きっと実際は、こんなもんだろーなーと理屈を付けただけです。現在で考えたら給与20万の人が、120万になっちゃうんですよ。この位の驚きで、十分でしょヾ(●´ε `● )ゞ とりあえず、終戦の頃に比べて1人当り6人分の経済力を持ったとココでは統一したいと思います。50年間でこれだけ日本は経済成長を遂げた事になり、外貨を獲得した事になります。とにかく、アメリカの6倍ペースで発展した市場が日本国内。ならこの備蓄された外貨を外貨として使うのではなく、日本円に換えて使う。これがバブル経済の始まりです。

当初では正解だったと思いますし、この工程が通常の流通のみに関しては、何の事は無かったと思います。問題は同時に高騰した「株」と「土地」です。国内では「貯めるから使う」に移行しだした為、国内市場が徹底して回り始めた。アメリカの6倍ペースで発展した国内市場、これが一気に流れれば、企業収益は単純に今迄の倍以上に跳ね上がる。この時点で株価も倍以上に跳ね上がります。更に同業種の国内競争力が加熱され、設備投資が頻繁に行われる。収益のメリットとして重要な販売場所の買収…これによって土地の買い替えも頻繁に行われる。このように内需拡大は無我夢中の競争で進んだわけです。

ところで、この土地の買収ですが、当然ながら買う為には 売る人間がいないと成立しません。売る側は土地を所有した時より高い値で売らないと損をします。10万で取得した土地は、20万で売る。問題の無い話ですよね。ですが、この倍売買が仮に10回続くと どーなります?元々10万の土地は結果1億円を超えてしまいます。仮に…と言いましたが、これに近い現象が実際に起こっていたわけです。それでも競争に勝つべく良い土地を買い替え続けなければならない。すると今度は、この土地を担保にした融資…つまり借金に手を出します。この頃は土地神話と言われ地価が下がる事は今後も有りえないと本気で思っていた時代でした。その土地に移転する事で、また新たな収益を獲得出来るよきっと…。だけど、今現在現金を用意出来ない…ですから買った土地を担保にして金を借りる。これが横行したわけです。この時点で1億円の土地なら、堅くて9千万は余裕で借りれると言う時代です。で、この融資と言う借金ですが、通常 銀行から借りますよね。当然利息が付きます。先程の「プラザ合意」が原因で、日本銀行は輸出・製造関連企業のダメージを少なくする為、公定歩合…いわゆる借金の利息を下げていた訳です。当時まででは最低値の2.5%。これは、輸出・製造関連企業のみならず、土地の担保融資をしていた企業にとっても優遇措置となりました。借金しても利息が低いですからね、さっきの1億対9千万の話なら、利息付けても最悪 土地を渡せばオツリが来る計算。損はしないと言う事です。

一般庶民の私では、このキ印ぶりに呆れますが、当時はその異常が正常だったと言う事。ですが、ここで政府でさえ危険を感じ、その真っ当な考えを押し出してしまいました。「公定歩合の引き上げ」と「土地融資の総量規制」つまり、「借入利息を上げるよ」「土地買う理由の融資に上限を置くよ」って事です。土地の買い替えを抑制する意図ですね。まともな思考である事は事実ですが、この結果、貨幣の流通に抑制が掛かってしまった。しかし、利息の数字だけ見れば、たかだか2.5が6に上がった程度。百分率的に1/30上昇しただけ…ですよね。でも実質は違うんです。率で思考する原資が無い。つまり1億の土地なら年利は600万。実際の現金が動けるのは500万…足りないんです。分かりずらいですか?実際は100兆円分以上の土地が融資の担保となっていた。つまり6兆円…借入金じゃないですよ、1年間に支払う利息だけです。これに借入元本を含めると恐らく年間40兆…借り入れの支払いだけで、国家予算並の現金が動く計算となります。で、これは、銀行の準備高を除いた一般の流動する現金として借り入れ支払いの為に用意するには非常に無理が有る数字なんです。根拠が有ったはずの借り入れが、たかだか3%程度の利率の引き上げによって無理の出る数字になってしまう…非常に難解ですよね。

これは、この時点で日本の貨幣経済は二極分化していたと言う事。実質貨幣の流通と、架空貨幣の流通が平行で行われてました。つまり、貨幣自体は動いてないが数字だけが動くと言う現象。貨幣に限りなく近い流動資産…売掛であり、有価証券であり、手形でありと言った、後々回収すると言う名目のモノがそこかしこに出回っていました。二極分化と言いましたが、当時の流通の ほとんどは、この架空貨幣による取引となっていました。つまり、予測収益で企業の各々が勝手に発行した架空貨幣によって出来上がった…実際貨幣への根拠を持たずに回った流通事情。単純に「企業が勝手に作った貨幣発行システム」…と取れば良いと思います。それこそ、自分が発行した支払手形が回り回って受取手形として戻って来る事もザラ。貨幣の動きは1円も無い事になります。つまり無いモノが有るように流通する経済…これがバブルと言われる根拠の一つです。

架空貨幣は勝手に…と言いましたが、元々は、底辺で実質貨幣流通が行われていたと言う所に、架空貨幣流通の根拠が有ったわけです。ただ、その流通全体の極わずかであった実質貨幣流通は、架空貨幣をベースに置いた利率:1/30の上昇に耐えられず、途端に機能しなくなった。バブル経済において、実質貨幣は、架空貨幣の持っていた利率2.5%を支払うに、いっぱいいっぱいの所まで来ていた…現実の現金の存在を超える金額であったと言う事です。実質貨幣と言う小さな水滴のストップが、それを「チリも積もれば山となる」的回収を行い架空貨幣流通の発端たる底辺近くの企業に悪影響を与え、その小さな架空貨幣流通に支えられてきた大規模架空貨幣流通に打撃を与えた。この様に一度何処かで、どんなに小さくとも堰き止められると途端に、崩壊の道を歩みます。ドミノ倒しにストッパーが掛けられた感じで考えると分かり易いかも知れませんね。貰えると思ったものが、貰えなくなった。後で払う見込みが有ったが払えなくなった。このバブル経済の流通も、回っている間は全然気が付かないものです。現金以外の手形や株、土地さえも現金と同等に見なされていた訳ですから…貴方自身、実際の現金を見て「これは現金なんだろうか?」って疑問を持つ人はいませんよね。それが本当に紙切れになってしまった訳です。この連鎖が起こり連鎖倒産の引き金を引いてしまったんです。更に地価も公民共々抑制が始まり、1/3以下への下落もザラとなってしまいました。すると、資産の流通が滞った事で、収益や資産評価が反映し株価の下落も進行しました。1時期4万円近くまで伸びた株価は一気に1/3まで下落。決して悪気は無く、皆の為を思ってやった政府の政策は、その予測の甘さから、混乱を招いてしまいました。これがバブル崩壊です。その後は…と言うと、10年前から今現在迄、変わっていない。…と言うより未だ傷が癒えていないと言う所ですね。でも1つ言えば、あのバブル当節が無ければ…と言う本来の経済実態に近づいたとも言えると思います。あの放蕩・放漫さえ無ければ、こーだったであろうの状態だと思います。実際は3年程度のバブル経済。人間の感覚として負った痛みは非常に大きかったと言うことですね。何故かしら、バブル崩壊と言う言葉を聞くと、マリーアントワネットのギロチン処刑を連想してしまう私です。

で、何故本来の経済実態に近い所まで来たのに、不景気と言う言葉が未だみんなから抜けないのか。疑問であると同時に道理でも有ると思います。と言うのは、

未だバブルオツムである連中が多い事。

色々要因が有りますが、長くなりますので今回はコレだけ。先ほど言った通り、株・土地・企業収益・経済力は1/3に減少したと考えられます。実質経済が1/3の上、余剰の支払利息も負担となります。すると、各個人単位で考え直すと、最低1/5に生活水準を落とさなくてはならない。ですが、結果はどうでしょう?確かに底辺側の社員は給与削減・リストラが当たり前の時代となりました。では、上司側は?不景気と社員に言いつつ、自分の給与や役員報酬は、ほとんど維持されてるはずです。日本は確か、資本主義経済であるはずです。つまり企業に競争力が無いとたちどころに潰れてしまう弱肉強食の経済体系です。でも実際は、戦力実態の無い連中が生活水準を維持し、主戦力たる社員がリストラされ、困れば国から資本注入。これで真っ当な資本主義と言うのはお笑いです。

資本注入する税金は、それでも国民公平負担が原則…らしい悪魔ですから、主戦力だった連中は、更に困窮する。本来全て1/5未満にしなければならないものを、バブルオツムの連中を維持させる為、本来必要な4/5の連中が自殺に追い込まれる。ここまで酷くはありませんが、これが現在全国単位で起こっているから、自殺者の増加に歯止めが掛からないわけです。人間の生活水準は中々下げられるモノではない。それは分かります。でもそんな感情論よりも、実際必要な連中が、不要な連中の為に消失する事は、我慢なりません。資本主義とは明らかに違う公務員社会も、この場合は一緒。人間に要不要は無いと思ってますが、こーゆー訳で今回も上のニュースでも敢えて、その言葉を選びます。ただ、必要な人間の代わりに、不要な役員や公務員どもが死ねばいい…そんな事は思ってません。ですが、個人のエゴの為に、どれだけの人間が迷惑しているか。それは考えるべきだと思います。本来の会社責任に有限責任を置いてる日本の商法。責任者が責任を取れないなら、正直、潰れる会社は潰さなきゃイケない。借金国家のレッテルが貼られてる以上、そして国民の収入を税金としている以上、景気が悪く 税収が減るのは、あくまで公務員自体の責任です。だから都合の良いサラリーマン化している不要な公務員は解雇しなきゃイケない…とは思っています。

思うに、楽観視せずに どう見通しても、バブルの傷は、これからも当分消えずにいると思います。テレビを筆頭とする通信媒体では、「バブルから立ち直る方法」等を色々模索しているモノも有りました。難しい事は私も分かりませんが、でも、まずは人間の心の問題から始めないと絶対無理だと思います。あの頃の栄華は本当に綺麗さっぱり忘れて、一から考え直す・出直す…もう一度、特定の人だけでなく、何故こうなるのか、どーしたら良いのか…自分の事だけ考えず、一人一人じっくり全体を見通す目を持って、考えて直してみるべきではないかなーって、それも模索する一つの方法だと思います。私がよく言う「年寄り辞めさせて、若いの使え!」って言うのは、今の若い子達は、バブルを知らない不況世代の連中。バブルを忘れる事より、バブルを知らない事の方が、不況現状を認識・把握しやすいし、してると思っている合理性から来るモノ。ただのジジババいじめじゃないんですよ。

…結局、何が言いたかったんだろ。。。(-。−;)いえ…ただの時間切れです(┳o┳)

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この話の映画化です。昔 Vシネマでもやっていた気が しますけどね。で…したり顔の世論とは裏腹な事を言わせてもらいます。コレに関しては、脚色せずに事件に即した同様の状態で、徹底的なモノが上映される事を希望します。どれだけ悲惨な事なのか、どれだけ苦しい事なのか、活字だけでは大衆に決して届かなかった部分が多大に有ると思います。見て、実感して、事件自体だけではなく、犯罪を犯した連中の事を本気で憎んで欲しいと思います。最近では、早稲田スーパーフリーの事件もありました。世論は大半が実感していないからこそ「罪を憎んで人を憎まず」などと、したり顔が出来るんです。人間は明らかに感情の動物です。ですが、獲物にされた女性や周囲の苦しみ、悲しさ、悔しさ…全く理解出来ていないから、女性をモノ扱いした事実を放り投げ 加害者側の人権を人道者ぶって守ろうとするんです。元々私は 誰の役に立たない要らない人間なんていないと思おうとしてた人間です。でも今では、いくらオツムが良くても、いくら能力が高くても、要らない人間など、そこら中にいるんだと言う事を改めて思い知らされてます。憎み足りない、死んだ方が良い人間なんて そこら中にゴロゴロしてると思っています。そしてこの類も、その一例です。人権どころか、こんな奴らを人間扱いする自体が大きな間違いだと思ってます。コレに関しては15禁等も不要。教育上良くないと、したり意見も出て来て当然でしょうが、犯罪の低年齢化も伴い男子犯罪の大半は「窃盗・恐喝」と「ヤク」と「レイプ」です。だからこそ、見せなきゃイケない。誰もが目を覆いたくなるような、泣きたくなるような悲惨で残酷で 吐きたくなるようなグロな感覚を持たせ、憎い事なんだと、残虐な事なんだと思わせなきゃならない。人間の「嫌悪」と言う感情は、自制する為に備わってる感情の一つだと思います。でもそれを、対自分に置換が出来ないバカが多い事も事実です。今まで色んな規制があり、中途半端なものを「実録」として公開していたものが多いですが、そろそろ そーゆー中身の無い教育的指導は止めたほうがイイと思います。事件記事の一字一句に色々な言葉が隠されている。真実を理解する事で、他人事ではない 身近に起こりうる事なのだと、それを理解するべきだと思います。人を憎む感情は持ちたくない…だからこそ、実感しなければならないんだと思いますし、だからこそ、表向きだけの清く正しくは通用しないんだと思います。

優子ちゃん事件で週刊新潮に特集記事!!

関与リンク:探偵ファイルさん・何かのページTBNさん(3/5)・桃戯右士.comさん・パンダを喰らうさん・Fishing2002さん
OSAMURAI.comさん・残したい意志さん

この話を初めて知ったのは去年の秋頃です。話を途中から聞くと分からなくなるものですが、この話もアソコの感覚からして…探偵ファイルのBOSSさんと女子高生の援交!?なんて、大変失礼な解釈をしてしまったのを今でも覚えてます。話の あらすじ は、こうです。

雑誌媒体にも公表されたわけだし、もう出してもイイ話ですよね。これは、ある高校教師が勤務校の女子高生を脅迫・レイプ・SM強要・暴力を幾度と無く卒業後も繰り返し、女子高生は精神障害・鬱病・PTSDの症状を起こしたにも関わらず、学校も周囲も そして官僚だと言う親さえも穏便に運ぼうと口を噤み、結局本人は失意のうちに何度も自殺に踏み切ったものの、その時に良き相談相手となった探偵ファイルのBOSSさんのおかげで、何とか最後の一歩を踏まずにいましたが…結局、1月の初旬、帰らぬ人となりました。

嘘だ、低俗ドラマだ、戯言だと言う輩がいますが、あのプロ集団:探偵ファイルのBOSSの本気と、図らずも餓鬼か畜生を連想させる教師の態度周辺の様子。作られたとは到底思えない顛末。結果、優子ちゃん本人が、何らかの理由で亡くなったと言う事実。どうにもこの状況はそうとは思えません。ついでを言えば、ネット上では本人及び団体が著名になればなるほど、創作や虚偽は実社会より危険を伴います。ネット上の叩かれ方は実社会より容赦が無いですから。ですから、あの探偵ファイルが何のメリットも無い創作による個人攻撃をするとは甚だ疑問この上ないんです。この教師は、状況的にも、感覚的にも まっ黒です。今まで、私自身も持ち出したく無かったのは、確定出来ない刑事裁判の話だから。ネット媒体だけでは不用意に言及など出来るわけがないから。正直、マスコミの反応の遅さにイライラしてたのは、ネット上の皆さんも一緒だったと思います。
鬼畜!レイプ魔高校教師が教え子を自殺に追い込む

とりあえず、発端から反応大であったこの話で、即 動き出したのが、これまた2ch。犯罪追求を明確にしようと、犯人教師晒しを実行に移し、この程度の情報なら朝飯前の彼ら。程なく確定。とりあえず晒し上げを開始した模様なんです。実際、そんなもので済ませるわけには行かない許されざるべきこの教師。ですが、事もあろうか巨大BBSなどで個人攻撃され精神的実害を受けたとし、その大もととなる探偵ファイルさんに名誉毀損で訴訟をふっかけた…バカモノです。先月辺りから裁判に入りました。しかもそれは、人間として明らかに間違ってる方が、原告と言う何とも遣り切れない話です。

一言、言いたい。なんで、こんなヤツが教師をしてるんですか?

聖人たれ!などとは 笑ってしまう程、話にならないので言いません。でも、優子ちゃんの誠実な訴えにした時の対応も、まるでガキの言い訳か、屁理屈ばかりを捏ねた口達者なタダの調子コキ。人間的にも非常に幼い、自己中心、そして…残虐非道。どこに教師としての資質があるんですか?それとも、道徳性は教師に必要の無いものなんですか?周囲の皆が体裁を守りたいのは分かります。でも、こんな事を見て見ぬフリをして放って置けば、教員全体の信用に関わる事じゃないんですか?タダでさえ最近は信用を無くし立場を急落をさせている教師の社会。その理由は、あくまで外的影響で無く、自分達の身内から、そしてその視野の狭い保身から、教師現場全体が揺さぶられている事にそろそろ気付きなさい。自分で自分の首を絞めてるんですよ。こんなヤツを何年も教育現場へ置いていた事に、そしてココまで行かなくても、予備軍的な問題教師を、未だ研修やら療養やらで休ませ籍を置かせているどころか、淡々と就業させている事実。こんな自分達の管理体制を取り繕う体裁を保とうなど、情けないくらい視野が狭すぎます。恥を知りなさい。誰の為の学校なのか、何の為の学校なのか、何もかも無くしてる今の学校の現状に気付き、早く信頼を取り戻す努力をして下さい。自分の保身だけでは何も前へは進めません。自分達が学校に出来る事、もう一度よく考えてください。急増する「M教師」から我が子を守る

最後に…優子さんへ。改めまして御冥福をお祈り致します。辛かったろうね。苦しかったろうね。虚しかったろうね。私では気持ちの幾分も分かるはずも無いけど、探偵ファイルを読んでた時から、陰ながら頑張って生きて欲しいと応援していました。残念な結果になってしまったけど、アレを読んでいた他のみんなも同じ様に応援していたはずです。「私は必要な人間じゃない」そんな事が無かったからこそ、ヤツの非難がネット上を駆け巡り、溢れかえったんだと思います。BOSSさんが被告として裁判に立った理由…それはきっと、この話をコレで終わらせて埋もれさせたくは無い。自分が広告塔になる事で、少しでも世間に この事を認知させたい。と言う気持ちから、不本意ながらも敢えて被告の立場を受け入れたんだと思います。おかげで、大手の雑誌媒体も関与を開始し、それによってネット媒体、マスメディア媒体でも流出が許され徐々に広がり、消えさる事無く徐々に認知されるだろうと思います。認知される事でいつか、保身だらけの優子さんの御家族や、ヤツの周辺も改心して動くだろう、動いて欲しい。貴方の様に悲しい思いをする子を一人でも減らしたい。貴方の心を大切にしたBOSSさんは、それを望んでるからこそ、戦う決心をしたんだと思います。そして、断罪される事を望む気力さえ無くしてしまった貴方に代わって背負おうとしているし、それが果たされる事を、みんなも切に願っているはずです。高校教師が教え子を自殺に追い込む

独立戦争プチ構造改革

この前の著作権話の続きになりますかね。タイトルに画像htmlモドキが入るちぅ無茶をなさってますが ; 内容には激しく同意です。この前も書きましたが、著作権のみならず、既に既成の権限は崩壊しかかってると言う事。その認識が完全に欠如した利権者が、どー吠えても流れには逆らえないと言う事。日本が高度経済成長を謳歌した原因の一端に情報の売買が挙げられます。特有の情報を特定の団体が管理・収拾・提供する事によって、無から有…サービス業が異常に発達した結果でもあるワケです。この無実体が日本の高度経済成長を支えてきた。同時に無実体な権限が顕現され続けた。
ですが、この無実体なダイヤモンドも、現在では特定団体から個人への移行がなされてしまった。これさえも商売にしようとした連中は結局、自分で自分の首を絞める事になってしまった。バブルの弾けと共に潰えたこの錬金術。例え日本の製造業が幾分か生きてはいても、片羽を もぎ取られた状態。現状を把握し、新たな認識を持たない限り、やっぱり日本経済は崩壊せざるを得ないと思います。

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